友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

劇団・新感線の『薔薇とサムライ』

2016年04月14日 18時26分52秒 | Weblog

 どんなに努力しても全然飛べない。羽が折れているわけではない。助走をつけたら飛べるかも知れないと試してみるがやっぱりダメだ。青い空はあんなに広がっているのに、飛べないのはなぜなのだろう。つくづくと自分がイヤになった。怠けたことはあるが、決して努力しなかったわけではない。絶望的な気持ちになって、ふと気が付いた。なんだ、元々飛べない鳥ではないか。鳥には空を飛ぶものと、飛ばないものがいる。そのことを忘れて必死に飛ぼうとしていたのだ。理由が分かると全身の筋肉が柔らかくなった。

 その時、目が覚めた。夢だったのか。どうしてこんな夢を見たのだろう。でも、夢でよかった。自分の能力というか、自分が何者かも考えずに、望んだり求めたりしたのだろうか。昨夜、ミッドランドスクエアシネマで月に1度上映される劇団・新感線を観た。午後7時から始まり午後10時25分までの長丁場だが、観客を飽きさせることがなかった。出し物は『薔薇とサムライ』で、17世紀のスペイン半島の小国が舞台だった。

 ところが、ここにどういう訳か日本を追われた石川五右衛門がいて、悪い奴らをやっつけてしまうというマンガのような展開だ。海賊しか襲わない女海賊アンヌは実はこの国の王の娘で、この国の宰相は海賊を攻撃しない代わりに盗んだ品物の何割かを献上させる大悪人だ。最後は五右衛門の働きで女王を助けて悪人たちを懲らしめる。勧善懲悪だが、どんでん返しが続き、結局見入ってしまうのだ。

 観客は映画館では多い方だろう。しかも、ひとりで来ている若い女性が目立つ。男性は中年以上だが、やはりひとりで来ている。姪っ子の息子がやっている演劇も若い女性が多かったが、こちらは歌舞伎を現代風にアレンジしたものだったからか、人情とか愛情のズレとか、心打つものがあった。昨夜観た演劇映画はこれでもかと繰り返される活劇が中心の娯楽劇だ。

 石川五右衛門の「人はそれぞれ役割を持って生まれてきている」というセリフが印象に残った。朝方見た夢ではないが、人にはそれぞれの定めがある。無理することはない。そんな気がした。

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