友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

看護婦さんが一番偉いというエッセー

2016年04月28日 17時27分26秒 | Weblog

 友だちが「私の知人が出したものなの」と言って1枚のコピーを差し出した。それは朝日新聞の3段広告で、『心のエッセーシリーズVOL.1』とあった。タイトルは「看護婦さんがいちばん偉いと思うから」というエッセーである。私の長女が看護師で、その娘も母親と同じ看護師を目指していることを知っている友だちは「ぜひ、お孫さんに読ませてあげて」と言う。ちょっと長いが全文を載せてみる。

 「あなたは人のオシッコを採ってあげる事ができますか。あなたは人のウンコを拭いてあげる事ができますか。あなたは身動きができなくなったお年寄りをお風呂に入れてあげる事ができますか。あなたは物事の分別もつかなくなった人とひと晩中話してあげる事ができますか。あなたは一日中流れでる、人のヨダレを拭いてあげる事ができますか。あなたは大きく口を開け、苦しみ悶えている人へ、割り箸の先のしめらせた脱脂綿で昼も夜も乾きをとめてあげる事ができますか。

 私たちには大切な人がたくさんいます。それは親であったり兄弟であったり親戚であったり、友であったり、愛する妻子であったりするわけです。その大切な人がもし病気や怪我や心の病で入院した時、それこそ天使のように優しく接してくれるのが看護婦さんです。死に接しては最後まで諦める事なく勇気を与え続けてくれ、誕生に際しては親にも勝るべき愛情をもって、新しい生命を育ててくれるのです。

 私は拙文をもって、私の心情を書きたい。否、書かなければと思うに至ったのは、看護婦さんになりてがいなくなり病院はその存立すら危うくなっているという記事を、テレビのニュースで見たり新聞で読んだりする事が多くなったからです。このままではいけない。看護婦さんをめざす人が多くなってもらわなければ、そう思ったからなのです。

 私たちの想像をはるかに超えるハードな状況の中で頑張ってくれている看護婦さんたち。私は彼女たちに最高の地位と収入を与えるべきではないかと思うのです。長いあいだ、私たちは彼女たちが持っている、「奉仕」つまりボランティアの心に甘えに甘えてきたのです。病院に行けば看護婦さんがいる。看護婦さんは何でもしてくれる。それは当たり前の事なんだ。そんな気持ちで今日まで甘えぬいてきたのです。お医者さんや大学教授、法律家や一級建築士、一等航海士、公認会計士…それぞれ難しい試験に合格した人だから偉い。それはそうでしょう。確かに偉い。しかし、看護婦さんはそれ以上に偉いと私は思う。この世で最高の地位と収入を約束してあげてもいいと思うのです。

 私は幸いまだ若く元気です。しかし先日、友人を末期ガンで亡くしました。また現在、私の恩人がガンと闘っています。看護婦さん、その節はありがとうございました。またどうか私の恩人を元気づけてあげてください。この拙文は、私という個人と同じ気持ちを持っている人が例え一人でも読んで、その通りだと思ってくれれば、それでいいのです。それから、もしこの拙文を読んで、一人でも看護婦さんになろうと思ってくれたら、最高の幸福です。」

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