故郷の寺に、祖父が墓を建ててくれた孫がいる。「これからどうなるのか分からないのに」と転勤族の孫は、祖父の気持ちが「理解できない」とこぼす。祖父は私よりも年上の人だから、「男子たる者は、一生のうちに家を建て、墓を建てる」と教え込まれてきたのだろう。私の父はそんな気はなかったが、母は「それが男の甲斐性だよ」と言っていた。
私は3男だったから、家を出て独立して家庭を持つことになる。そしていつかは家を建て、墓を建てる、これが男の務めというのである。私たちがマンションを購入した時、カミさんのお父さんは「そんな空中に家を買って」とぼやいていた。カミさんのお母さんはベランダに出るのも「怖い」と嫌がった。お父さんはルーフバルコニーの一番高いところに椅子をおいて、眼下に広がる濃尾平野を眺め、「天下を取ったような気分だな」と言ってくれた。
土地のない家に不満だったはずだが、娘も婿もここが気に入っているなら、自分は認めてやろうというお父さんの思いやりである。お父さん自身、長男でありながら故郷を離れ、土地を買って家は建てたから、男の役割の半分は済ませたと自負していた気がする。生まれた土地に住み着いていた時代から、勤め先の近くに土地を買い家を建てる時代に変化していったが、墓については故郷の寺の先祖の墓でと考える人が多い。
しかし、実際には故郷は遠過ぎて墓参りにも行けないという話を聞く。先日会った石屋産の話では、「墓を建てる人よりも撤去する人の方が多くなっている」そうだ。先祖を敬ないわけではないが、現実として、故郷に帰るのはお金がかかりすぎるのだ。家族4人で帰らないで、夫だけとか妻だけとか分けている家庭もある。
家や墓に対する価値観というか、考え方が時代と共に変わるのは仕方のないこと。家族が変わったというより時代の変化が考え方を変えさせたのだ。お寺が葬儀を行い墓を置く場所でなくなる日は意外に早くやって来るかも知れない。お寺で音楽イベントが行われたり、英会話教室が開かれたりしている。お寺も生き残りを模索している。