友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「お墓のこと、お願いね」

2016年08月04日 17時29分31秒 | Weblog

 叔母から始めて電話をもらった。母の兄弟姉妹で生きている人は誰もいないが、父の方は叔母がふたり健在だ。そう言っても上の叔母は施設に入っているようで、電話をくれたのは私の姉と歳の差がそんなにない下の叔母である。電話の内容はお墓のことだった。祖父が建てたお墓は隣りに銀杏の木が植えてあり、子どもの頃はそれが目印で分かりやすかったのに、銀杏の木は大きく成長しその根がお墓を傾かせる結果となった。

 今では銀杏の木は切られて株しか残っていないが、お墓は傾いたままなのでいつか必ず隣りのお墓に崩れ込むだろう。そのことを叔母は心配して、「お墓を無くすならその費用の一部くらいは出せるからね」と言うものだったが、まず、私がお墓参りをしているかを質し、現状を知っていることに安心し、「あなたがお墓参りをしていてくれてありがとう。相談できる人はあなたしかいないから」と言う。「今度、兄の息子も一緒に墓参りに行くので、そのことは相談しておきます」と答えた。

 兄の息子はふたりいるが、上の息子は家庭を持ったが母親と暮らし、下の息子は別に家庭を構えている。兄と嫁の姉は離婚したから兄の子に我が家の墓を維持する義務はない。むしろ母親の面倒をみる必要が生まれてくる。私は自分が生きている限りお墓参りは続けるつもりだが、わが家の子はふたりとも女だから、やはり嫁ぎ先のお墓を優先して欲しい。

 元々私はお墓に特別な感情はない。毎年お墓参りをするのは、子どもたちに先祖のつながりを意識させるためで、大人になった今は血のつながった家族で年に2回会うための行事に過ぎない。我が家のお墓が隣のお墓の迷惑になる前に壊して更地にすべきかも知れないが、そうなるとお墓参りという口実を失うことになりそれは淋しい気がする。いずれにしてもみんなの納得いく解決法を探らなければならない時期に来たことは確かだ。

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