友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

朝咲き午前中に閉じてしまうツユクサ

2016年08月06日 16時46分04秒 | Weblog

 昨夜は遅くなっても部屋の温度は下がらなかった。それでも風があったので、「エアコンをつけるとのどが痛い」と言うカミさんの言い分に従って寝た。けれどいつの間にか風が止み、暑さで目が覚めた。扇風機を天井に向けて回して寝たのに、また暑さで目が覚めた。扇風機は止められている。「かなわんなあー」と思いながら寝たが、すぐまた目が覚めた。

 午前6時だったのでルーフバルコニーに出て、花たちに水を遣る。昨日の暑さのためなのか、ミミズが床でヨタヨタしている。鉢から出ればそこは地獄なのに、「どうしてわざわざ出てくるのだろう」とブツブツ言いながらミミズを塵取りで拾い上げ、一番大きなキンモクセイの鉢に入れてやる。きっと鉢の中が暑くていられなかったのだろう。「この鉢なら大丈夫だからもう出てくるんじゃーないよ」とまた独り言を言う。

 ミミズは全部で5匹もいた。どれも痩せていたから食べるものがなかったのかも知れない。毎朝、花に水を遣っていると、移動できない植物も生き残るために様々な工夫をしていることが分かる。居心地の悪いところに植えられた花は浪費しないためか大きくならないが、よい場所を得た植物は大きくなってより多くの子孫を増やそうとしている。苗を買った時に鉢に混じっていた1本のツユクサを捨てずに椿の鉢に植えておいたら、椿よりもツユクサの方が目立つほど成長した。

 「朝咲き夕べは消ぬるつきくさの 消ぬべき恋も我はするかも」(万葉集)。友だちが我が家に来た時ツユクサを見て、「父はこの花が好きでした」と言った。早朝に咲いた花は午前中には閉じてしまうので、朝露のように儚いものとして愛でられてきた。ほんのひと時のような恋でも、恋は恋と思うのは私で、友だちのお父さんは俳人だから、ツユクサに人生の哀れを見ていたのだろう。

 子どもの頃、ツユクサは木材置き場の排水路の傍に咲いていて、花を摘んで潰すと青色の汁が出てきた。父が「昔の人はこの花の汁で布を染めた」と教えてくれた。ツユクサの花は空の色よりも青い。花をよく見ると宇宙人のような顔をしている。今晩はマンションの夏祭り。ステージの方から音量調節のために、どこかの民謡が聞こえてくる。

コメント
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