友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏休みの宿題

2016年08月02日 17時40分48秒 | Weblog

 大学生の孫娘が小学校1年の妹の夏休みの宿題を見て驚いた。宿題の量が自分の時よりも圧倒的に多い。それに毎日積み重ねないと「絶対に提出は無理」という量のようだ。だからだろうが、先生は毎日取り組むように日誌とは別に宿題ファイルを作って渡してくれている。妹はコツコツやるタイプではないので「悪戦苦闘している」と言う。

 大学生の孫娘は「ゆとり教育」世代で、主体的に学ぶことに重点が置かれていた。与えるよりも自分でつかむことだったから、コツコツタイプの孫娘には自由過ぎたのかも知れない。「ゆとり教育」が学力の低下を招いたと批判されたので、この世代の孫娘は「私たちはアホなの?」と自虐的に言うがそういうことでは決してない。

 「ゆとり教育」を提唱した文部官僚は文部科学省から追い出されてしまったが、私は素晴らしい教育方針だと思った。けれども日本の教育は国が決めてその通りに先生たちが教える制度が定着している。あるものを教えることには長けていても、「主体的」とか「創造性」とか見えないものはどうしていいのか分からない。「個々に自由にやってみて」と言われても、「見本を示してくれない」と出来ない現場になっている。

 この姉妹の母親である長女は面白いことを言う。「ゆとり世代の子の親は何もしなくてもよかったけれど、この子(下の娘)たちの親は親が頑張らないといけないわねえ」。今朝の中日新聞は中央教育審議会が次期学習指導要領を示したと報じていた。「教育は国家の基礎」と明治政府は全国一律の体制を作り上げてきた。それは確かに日本の近代化の原動力となったが‥。

 でも、これからの時代は個々の先生が自由に教育できる方がよいと私は思う。先生たちがお互いに教育の内容や方法について話し合い作り上げていくことだと思う。自治体の首長に教育への権限を移行させたらいいという意見もあるが、やはり首長は不介入であるべきだろう。先ほどから雷鳴が地面を揺らすほど響いている。神様の怒りなのかと思えてくる。

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