友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中島みゆきのトリビュートライブを観て

2016年08月22日 18時28分28秒 | Weblog

 昨夜はNHKの『真田丸』に続いて、BSで韓国時代劇と小泉孝太郎がビリギャルを東大に合格させる『受験のシンデレラ』を見ていた。その後、番組の宣伝なのかと思っていたら、中島みゆきの歌を女優の満島ひかりや大竹しのぶ、演歌歌手の坂本冬美が歌うトリビュートライブが放映された。やっぱり中島みゆきの歌はいいなあー。

 中島さんは1952年生まれだから私より8歳年下、団塊の世代の端になる。高校の文化祭でオリジナル曲を歌ったというから1970年だろう。大学は学園紛争に明け暮れ、街頭ではフォークソングが歌われていた。彼女のデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』は夜に働く女性の哀歌のようだった。

 この70年代に『あばよ』とか『かもめはかもめ』が生まれているし、私が好きな『時代』も『わかれうた』もこの頃の歌だ。『あばよ』の歌詞は、「なにもあの人だけが世界中で一番優しい人だと限るわけじゃあるまいし、たとえば隣りの町ならばとなりなりの優しい男がいるもんさいくらでも」と別れの悲しさを開き直って歌っている。

 中島さんの歌は別れ歌が多い。『わかれうた』の歌詞を見ると、「途に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」で始まり、「別れはいつもついて来る 幸せの後ろをついて来る それが私のクセなのか いつも目覚めれば独り」とある。『空と君のあいだに』の歌詞も凄い。「空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」そして「ここにいるよ愛はまだ ここにいるよいつまでも」とつながっていく。

 歌詞を挙げたら切りがないくらい言葉の使い方がうまい。先日、長女のダンナの姉がリサイタルを開いた。養護学校に勤めている傍らでクラシックを歌っているが、お父さんは「それほどうまくない」と遠慮して言うけれど、歌い続けていることだけでも立派なことだ。クラシックのソプラノ歌手にしては細身だから声は優しい。太ったならもっと響かせる技量はあると思う。

 今回は「子どもたちへ」と題して、山田耕筰など日本の歌を歌ったが、中でも『童神』と『曼珠沙華』は素晴らしかった。イタリヤ語やドイツ語の歌は言葉の意味が分からないが、日本語の歌はそこが違う。これからもぜひ日本語の歌、出来れば中島みゆきも歌って欲しい。

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