友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「遺言のため、お骨は拾いません」

2016年08月16日 18時19分11秒 | Weblog

 お盆だというのに暑い日が続いている。カミさんの実家へのお参りに続いて、私の家の墓にもみんなが集まってくれた。銀杏の樹は切り倒されて根の成長は止まっているが、墓石は傾いたままだ。兄のふたりの息子に「このままでは周りに迷惑をかけることになるので、最善の方法とその金額を相談できる地元の業者を探してみる」と相談する。

 「お兄さん(私のこと)に全面的委任です」と言われるとますます責任が大きい。兄の息子たちはあまり覚えていない父親の家の墓を守るという意識は強くないし、我が家は女の子ばかりなので、嫁ぎ先の家の墓を守ることになる。カミさんはどう思っているか確かめたことはないが、私は自分の墓はいらない。しかし、今ある傾いた墓をこのまま放置すればいずれは周りの墓に迷惑がかかるから、それだけは許されない。

 長女のダンナは「チェーンブロックで持ち上げて、墓石の傾きを直しましょうか。男が3人もいれば出来ますよ」とありがたいことを言ってくれるが、もし万が一怪我でもされたら困るので、やはり業者にまず相談してみようと思う。久しぶりに中学の同級生に石屋を知らないか聞いてみよう。我が家のように年に何回しか墓参りに来ない墓もあるが、全く無縁になってしまった墓もあり、そうした墓は何年か経つと更地になっている。

 世帯毎にそれぞれが墓地を持つ時代は確実に変わりつつあるようだ。「墓地売ります」のチラシが今も時々あるけれど、葬儀が縮小されてきたように、墓地を持たない人も増えてきている。墓地や墓碑がなくても、身内が集まり談笑する機会があれば、死者の生前を偲んで話もできるだろう。生まれた時もきっとわずかな家族に迎えられたはずだから、逝く時も死者の身内で送ればいいし、時々集まって死者の話で盛り上がるならそれでいいと思う。

 だから、火葬場の人には「遺言のため、お骨は拾いませんが、よろしくお願いします」と丁重に頼んで欲しい。

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