友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思い出は楽しいことばかり

2016年08月11日 17時48分41秒 | Weblog

 今朝は台風一過のような爽やかな風が吹いていた。ルーフバルコニーで水遣りをしていると寒いとさえ感じた。それなのにドンドン夏の暑さが戻り、午後4時半の室温は33度近くある。風はなくべっとりとした重い暑さだ。カミさんは早朝からリオのオリンピック中継を見ていたが、私はもっぱら高校野球を観ている。それもジッと座り込んで集中しているのではなく、他事をしながらの怠慢な観戦である。

 オリンピックではどうしても勝者にスポットが当てられるが、私は敗者を思って胸が熱くなる。悔しいだろう、情けないだろう、でも精いっぱいやったじゃーないか、そう呼びかけたくなる。アリスの『チャンピオン』が好きなのも、敗者の悲哀を歌っているからだ。「立たないで もうそれで充分だ」と神様がささやき、彼は「帰れるんだ これでただの男に」と納得する。

 多分、人生は悲哀の連続なのだろうが、苦しかったことや悲しかったことは忘れてしまい、楽しかったことばかりが思い出となっていく。そうでなければやりきれない。そうでなければとっくの昔にこの世にオサラバしている。明日はきっともっといいことがあると思うから生きていける。0対0のまま9回の裏まで野球は進んだ。1アウトを取り、ここまで1人の打者も出していないのに、あと2人というところで長打を浴びサヨナラ負けになった。人生はいつもこんなものだ。そう思えば、よしまたいつかと思えてくる。

 先日、友だちの家で飲み会をした。友だちが家を新築した時、大勢の家族が集まり麻雀をしたり、言葉遊びをしたりして集まった。子どもたちが大きくなってそういう機会も無くなっていたが復活である。互いに手料理を持ち寄ったので、日頃は食べないものが食べられたし、酒好きの友だちは次から次へといろんなお酒を出してきて、飲んだことのないお酒を味合うことも出来た。

 友だちは大学の名誉教授になっているし、今も研究者を続けているから、人生の成功者であることは間違いない。先輩も孫や曾孫に囲まれ、周りの人たちに慕われ、人生に満足しているだろう。それでもきっと嫌なこともたくさんあったはずだ。今、笑って、食べたり飲んだり出来る。それでいいじゃーないか。

コメント
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