友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

スポーツは相手の弱点探しなのでは‥

2016年08月10日 17時55分17秒 | Weblog

 リオ五輪の中継やニュースがよくテレビで流される。スポーツは真剣勝負だから面白いと言うが、私はそう思えない。例えば、体操の団体競技で日本は悲願の金メダルを獲得した。「あれっ、予選では4位だったのに」と思ったが、予選で4位であることが大事だった。決勝戦では得意種目の床が最後になるからだ。白井で稼いで内村で仕上げる作戦通りの展開だったから勝利できた。

 スポーツに作戦は付きものだから「ゴチャゴチャ言わないで」と叱られるが、テニスだって卓球だって柔道だって、相手の弱点を見つけて攻める。高校野球もピッチャーとバッターの勝負だが、投げてはいけない球を投げたり、打たなければいけない球を見逃したり、弱点の克服が練習である。身体を鍛える、精神を鍛える、スポーツの勝負とはそのためであり、「だから共感を呼ぶのよ」とテレビに釘付けのスポーツファンに教えられる。

 広島・長崎の原爆記念日の式典を見る度に、2度と戦争を起こしてはならないと思う。それは私だけでなく、原爆資料館を訪れた若者も被爆者の話を聞いた小学生もみんな思うことだ。「戦争はあってはならない」と言う人が、「尖閣諸島での中国の動きは我が国の主権を侵す行為だ」と非難する。非難だけで終わればいいが、「主権が侵されているのに黙って見過ごすことは出来ない。自衛隊を派遣しけん制すべきだ」と主張し出したらどうなることだろう。

 外交も相手の弱点探しである。互いに「こう出たら相手はどう出るか」の読み合いだ。そしてそれが戦争になってしまうのは、国民の後押しがある時だ。後押しなんかしていないつもりでも、相手の卑劣さや卑怯さを見せられると国民は必ず火がついてしまう。事実にないことでもでっち上げることは簡単だ。マスコミを押さえていれば出来るだろう。スマホやiPadのような通信は双方にとっても武器になる。

 国際紛争も正々堂々とスポーツで決めるというなら、相手の弱点の探り合いも許せる範囲に入れてもいい。なんて、暑さの中でリオ五輪を見ていてそう思ったが、そんなことを考えるのは、私の頭が暑さでおかしくなっているのかと、ワケが分からなくなっている。

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