友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

7日は熱田神宮で七五三参り

2017年10月04日 17時48分20秒 | Weblog

  明日、仙台の次女夫婦が我が家にやって来る。3歳の孫娘の七五三の祝いをするためだ。次女のダンナの実家は姫路なので、初参りは仙台と姫路の中間の名古屋の熱田神宮に、3家族がそろって出かけた。家が近ければ頻繁に会うこともできるが、これだけ離れているとそういう機会を度々作るわけにもいかない。3家族が集まれる貴重な行事である。

 明日は次女夫婦を歓迎して、長女夫婦も我が家にやって来る。長女のところの小2の孫娘が何よりも楽しみにしている。長女のダンナには姉がふたりいるが子どもはいないので、次女の娘が唯一のいとこである。しかも相手は3歳なので、生まれた時から姉さん気取りで世話をしていた。長女の話ではすでに遊ぶ道具まで用意して待っているらしい。

 私は子どもの頃、父方のいとこが5人、母方のいとこが6人いた。私と年齢の近い子が何人かいて、我が家に親戚が集まる時はそんな子どもたちの遊び相手を務めたし、母の実家へ行く時は叔母のところの5つ年上のいとこが相手をしてくれた。高校1年の時、東京の大学に行っていたいとこは「東京の大学においで。世の中は変わるよ」と、60年安保闘争の様子を話してくれた。

 まだ、祖母が健在だった時だから、私が小5か小4の頃、父の妹の娘が「お兄ちゃん(私のこと)と一緒にお風呂に入る」と言い出して祖母を困らせたことがあった。あの子は私よりもいくつ年下だったのだろう。おませな子だったのか、そういう年頃だったのか、大学を卒業して高校の国語教師になったと聞いた。

 祖母が亡くなると、叔母たちが家に来る機会は減り、我が家が倒産して一家が離散した後はいとこたちと会う機会は無くなった。母の妹の葬儀の時、「いとこ会をやろう」という話も出たが、結局、音頭取りをする人がなかったから立ち消えになった。我が家の長女と次女のふたり、これからどんな風に付き合っていくのだろう。血でつながった人数は少ないが、それでもつながりを大切に生きて欲しいと思う。

 6日は姫路からダンナの両親が名古屋に来てくださるので、私が好きな店で懇親するつもりだ。そして7日は熱田神宮にお参りし、初参りの時に利用した名古屋駅前の店でお祝いの席を設ける。8日の夜は次女のダンナが翌日帰宅するので、我が家で一杯やる。その時のお酒も用意してある。

 そんな訳でしばらくブログを休みます。

コメント (1)
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