衆議院議員選挙の公示日だが、意外なほど選挙カーは回って来ない。昨日は共産党の街宣車が「野党共闘こそが安倍強権政治を倒す力」と主張していたが、その間を縫うように「選挙区は〇〇(立憲民主党の候補名)、比例は共産党」と連呼していた。まだ、公示前だから選挙運動はできないから、違反承知で行っているようだ。
今回は政権選択選挙と自民・公明が言い、希望の党は安倍政権に終止符を打つと勢いづく。護憲3党の立憲民主、社民、共産は政権交代を唱えることもできず、ただ、安倍政権を倒すとしか主張できない。安倍自民党は議席を減らすだろうが、自民・公明政権は継続するだろうと私は見ている。
憲法を読んで、「素晴らしいことが書いてある」と感激したのは私たちの世代までのようだ。今の若い人たちは「理想はいいが、現実的ではない。そんなことより、若い世代の負担を減らせ」と言う。「理想と思うなら、理想を現実のものにする努力が政治だろう」と私は思うけれど、「それはあなたたちの時代の責任」と言い返されてしまう。
考えてみればいつもそうだ。世代の差は大きく存在する。私が子どもの頃、戦争でたくさんの人が亡くなったのに、なぜ責任があいまいにされているのか不思議だった。中学・高校に進み、生徒会の役員となったが、「生徒会は生徒のためにある」と言われながら、結局は教師が生徒を支配するための道具でしかないことが分かった。
私が大学生の頃はまだ紛争の時代ではなく、社会人になってしばらくすると「全共闘」が闊歩するようになった。労働組合の中にも戦闘化する組織もあったが、それは一時のことで、景気の高揚とともに収束していった。理想より現実が先行していく。人間はいつも理想よりも現実に屈してしまう。キリストの言葉をもう一度噛み締める時だと思うが…。