友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

行き過ぎにはブレーキがかかる

2017年10月02日 18時03分22秒 | Weblog

  穏やかな秋雨を眺めていたら、すっかり暗くなってきた。秋はもの悲しい。にぎやかに大声が飛び交っていた運動会や体育大会が嘘のようだ。道路脇に咲いていたヒガンバナも枯れ落ちている。冷たいものに右の奥歯がキーンと沁みるので、近所の歯科へ行ってきた。右で噛むのを避けていたら、左の奥歯が痛む。最近、歯科へ通うたびにますますどこかが悪くなる。

 中学1年の時はクラスの「歯の優良児」だったのに、家がゴタゴタして顔を洗う場所もない時があったりして、歯を大事出来ない期間があった。そんなツケが今頃になって出てきたのだろうか。秋はイネ科の花粉で、目はショボショボするし、クシャミと鼻水に悩まされて憂鬱になる。ところが不思議なことに、誰かに会うとかどこかへ出かけるとか、気持ちが浮き浮きした時はアレルギー症状は出ない。

 自分勝手というか、貪欲な体質である。小2の孫娘が百人一首を口ずさむので、昔は関心なかったのに、最近になって孫娘に負けないようにと読み返すようになった。孫娘の父親が「こんなにえげつない恋の歌を小学生に読ませていいのか」と疑問を投げかけていたが、結論から言えば、私は「いい」と思う。

 歌の情景までは分からなくてもいい。百人一首は言葉遊びだから。そしてこの言葉遊びは日本人の情感の源でもある。「陸奥の しのぶもぢずり 誰故に 乱れ初めにし われならなくに」は、恋しい人を思って心が乱れ始めたのはあなたのせいよと詠っている。そんな恋の歌が圧倒的に多い。儒教的な規範が入り込んでいないから、恋愛を謳歌していた。

 資本主義は儒教的な道徳を嫌う。自由でなければ富は蓄えられない。しかしどんな時も行き過ぎにはブレーキがかかる。キリスト教的な価値観で歯止めをかけようとする。人間は貪欲だが、これで本当にいいのかと考える人たちが現れる。今も、混とんとした世界の中で、そういう人たちが必ずいる、と私は思う。

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