福井県池田町の中学2年の男子が、校舎から飛び降り自殺した。事故調査書には担任と副担任からの強い叱責があったと報道されている。校長も教頭も、それを目撃していながら何も手を打たなかった。「しっかりと上げるよう(報告・相談するの意味)に指導していなかったことが、自殺した生徒の問題を共有することができなかった原因だと思う」と教頭は言う。
福井県は全国学力テストで、国語も数学も1位だったから、かなり成績向上に努めているはずだ。上から下への関係も徹底されていると思う。教頭の言葉からそんな感じがする。生徒たちの前で、聞いている他の生徒が身震いするほどの大声で、男子生徒は叱られ、説明しようとしても「言い訳は止めなさい」と聞いてもらえない。過呼吸になるほどの状態に追い込まれた男子生徒は死を選んでしまった。
こうした事故の時、いつも教育委員会が謝罪と説明をするが、どうして担任や副担任が出てきて、「私はこういうつもりで、こう指導した」と述べないのだろう。子どもを自殺にまで追い詰めてしまったことをどう考えているのか、私は本人から聞きたいと思う。私の知り合いの子も中学生の時、女性担任からしつこく指導されて学校が嫌になっていた。担任は成績の良い彼がクラスのまとめ役になって欲しいとの思いから強く求めたのだろうと私は思っている。
人の思いはそれぞれで、素直に受け止められる人もいれば重荷に感じる人もいる。親が子どもに習い事をさせるのは、大方が自分が出来なかったことだという。私も自分は出来なかったので、子どもにヴァイオリンを習わせたが、何も教えることが出来ない。英会話を子どもに習わせる親もそうした類いが多いらしい。
自分が出来ないのに、子どもに習わせるなら過分であってはならないだろう。好きならきっと続けるだろうから、好きなことを見つけさせることが親の務めだ。母親が父親を「ダメな人」とバカにしていれば、子どもは父親の言うことなど聞かなくなる。親なら子どもが普通に成長してしてくれればそれで充分だ。それが学校で、過剰な「指導」を受けることになるとは…。どこにいったい原因があるのだろう。