友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

3歳の女の子でも恍惚とした表情になる

2017年10月15日 16時42分40秒 | Weblog

  仙台の次女が3歳の孫娘と帰っていったので、再びふたりだけの生活になった。カミさんはテレビでゴルフ中継を見て、私はフトンんに入り眠ってしまった。「孫は来てよし、帰ってよし」というとおりである。次女も仙台では娘とふたりでいる時間が長いから、実家に帰って来た時くらいは解放されたいだろう。

 孫娘だって同じで、母親と一緒にいれば「安心」が保証されるが、絶えず「しつけ」を受けていれば解放されたいと願うだろう。幸いなことに、3歳の孫娘はどこにいればよいかを感覚で測ったのか、絶えず「パパちゃん、いっしょにあそぼう」と私を呼びつける。長女のところの小2の孫娘から借りた人形あそびの相手をする。

 3歳の孫娘はリカちゃん人形で、「わたしはエルザよ」といい、「パパちゃんはアナ」というのに、人形は子熊のモフッル(?)をあてがわれる。そして延々と人形あそびが続くが、決して私にリカちゃんが渡ることはない。主導権はあくまでも3歳の孫娘が握っている。女性は子どもを産み、育ててきた長い歴史から「あらそい」を好まないのだ。

 人類がこの世界に誕生しても、「家族」はまだ誕生していない。女性はその間も子どもを産み育ててきたが、男性が仲間になることはなかったと思われる。男性が集団で食べ物を確保してもまだ「家族」は作られなかっただろう。女性の子育ての歴史から比べれば、男性の「家族」の歴史は短い。男女平等はもっと短くて、フランス革命以後になる。

 3歳の孫娘は「パパちゃんとお風呂に入る」と言いながら、男性性器を奇怪なもののように見る。人類誕生の話を聞かせてやらないといけないと思う。旧約聖書も日本の古事記も、神様は男と女をつくられ、さらに古事記には男の凸ているもので女の凹んだものを埋めて子どもが生まれたとある。情交で女性が大きな快感を与えられるのは、産みの苦しみよりも大きくする必要からという。

 3歳の女の子でもハグする時はものすごく力が入り、恍惚とした表情になる。なんと女は美しいかと孫娘でも感心する。

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