友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏目漱石の小説

2017年10月29日 17時40分25秒 | Weblog

  夏目漱石が話題になったのは高校時代だと思う。入試のためなのか、それとも青春の証としてか、周りの友だちも結構読んでいた。私はひねくれていたのか、旧漢字や仮名遣いが読めなかったのか、興味が湧かなかった。戦前の文学作品は戦争を肯定する精神的な土壌を生み出したという偏狭な考えに取りつかれていた。

 西洋文学を読めば、日本人の感覚を拭い去ることが出来るはずと考えていた。しかし、73歳になってこの考えは間違っていた、逆に流れている日本人の血を意識するようになった。本や音楽、見るもの聞くものを変えても、感性まで変えることは出来ない。日本人はやはり日本人で、私は日本の田舎に生まれ育ち、もがいてもかなぐり捨てようとしても、変えることは出来ない日本人だった。

 夏目漱石が取り上げられるのは、今年が生誕150年、没後100年になるからだが、近代へと向かった時代の人として、社会と自我の葛藤あるいは対立としてとらえられている。私は高校時代、あんなに拒否していた夏目漱石を読んでみる気になって、漱石の後半の作品を読んでみたが、どうしてなのか魅かれるものがなかった。

 昨日の講演は、漱石の小説がどのように作られているか、個々の作品を時代に追いながら、小説の作り方がどのように変わったかを検証する、かなり学術的な内容だった。小説の構造はよくわかったが、「だから何」という点が私には理解できなかった。社会とは関係のない男女の関係だけの作品のように思っていたが、漱石が生きた時代と深くかかわって作品が成り立っているという、当たり前のことが理解できたことは収穫だった。

 作家が時代の中で、何を考え何に悩んでいるのか、読んでいて引き込まれる作品には、洋の東西に関係なくそれがあるから魅力なのだろう。やっぱり、イシグロ・カズオの作品を読まなくてはと思った。

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