「オオー」とか「ワアー」とか、テレビのゴルフ中継を見ているカミさんが大声を上げている。長女が結婚式に出席するための長じゅばんの襟を取り換えているから、「着物縫いながらよくテレビ見ていられるね?」と感心すると、「見なくてもいい時に針を動かしているよ」と言う。いくら直線縫いでも、画面を見ながら縫うのは高等技術がいるだろうに。
私の母はラジオを聴きながら縫物をしていた。ラジオなら耳だけ向けておけばいいが、テレビを見ながらとなると、画面と手元の両方に注意を向けなければならない。気持ちも分断されるようで、私は落ち着かなくてなかなかできることではない。私はどちらかと言えば、1点集中の傾向が強く、好きになると一途に求めてしまう。
久しぶりに電話があり、「市民が主人公の市政を目指すとあなたは言っていたけど、崇高な理念を掲げていたのね。ようやく気が付いたわ」と、私を応援してくれた年配の女性が言う。あんなに熱心に応援してくれたのに、スローガンや政策は二の次だったのだ。選挙で身を粉にして応援してくれる人には、政策とか理念とかよりも「人柄が好き」というタイプが多い。
名古屋市長の河村さんが「希望の党」から出馬しないと決めた。河村市長は「税金は市民のもの。市民のために使って当たり前」と主張するが、どんな市長でも口では「市民のため」と言う。河村市長の政策は、あおなみ線にSL列車を走らせるとか、名古屋城の本丸を木造で建て直すとか、「思いつき」ばかりで、市長として本当に「市民のため」になっているのかと思う。
「希望の党」が「しがらみのない政治」「原発ゼロ」を目指すという。それは私も賛成だ。けれど、「安全保障体制の強化」「憲法改正」は絶対に受け入れられない。だから「希望の党」は支持しない。せっかく自民一強の体制を崩す機会なのに、そんな細かなことにこだわるなと言う人もいるが、憲法や安全保障という国の根幹を骨抜きにしてはならない。
ここは一点集中する時だと思う。脇目もふらず、一途に。