友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いじめは無くならないのか

2020年02月25日 18時21分57秒 | Weblog

 脳学者は、「いじめは無くならない」と言っていたが、そうかも知れないと思うような事件が多い。先生が先生をいじめた神戸の小学校では、被害者の「痛み」が全く分かっていない。いじめた側の先生は「ちょっとふざけ過ぎた」とか「ストレスが発散できた」と言っている。

 まるで教室の子どもと同じだ。子どもたちを観ていると、じゃれ合っている子たちがいる。AがBに、BがCに、CがAにちょっかいをかけているようなら、「ふざけ合い」かも知れない。それでも、苦痛が伴っていないか、よく観察しなければならない。子どもの遊びは意外に巧妙な「いじめ」だったりするからだ。

 私は小4の時に、クラスのボスから授業後のレスリングを命じられ、不登校になった。ボスに勝ってはならないので、ボスだけが楽しいレスリングだった。私は学級委員だったから、「止める」と言ってもよかったのに、それがみんなのためだったのに、仕返しが怖くて言えなかった。

 中年になって、クラス会の2次会で立ち寄ったスナックで偶然ボスに出会った。友だちが「あの頃はよくいじめられたよな」とボスに言うが、「そんなこと、あったか」と忘れてしまっている。威厳も何もない、しょぼくれたオヤジだった。いじめた方は忘れてしまっても、いじめられた方は決して忘れることはない。

 どうして小4の時、彼はボスだったのだろう。身体が大きかったし、何故か手下のように振舞う子が何人かいた。神戸の小学校の先生も1対1ではなく、ボスのような女性の先生がいて、ふざけるのが好きな男性の先生が何人かが、ボスに気に入られるように振舞っている。

 女性の先生をこの小学校に連れて来た校長は、「死ね」「潰すぞ」「オレを怒らせたらどうなるか」と口にしていたようだから、新任や転任の先生には地獄の職場だったのだろう。小さな人間が権力を持つと、弱い者をいじめたがるから始末が悪い。これは人間の本性なのだろうか。

 

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