マンションの中庭に井戸を掘り、今日は手押しポンプを設置して水を汲み上げてみた。さすがに内側にステンレスの板を貼った手押しポンプは手応えが違う。まだ砂交じりだが、水は大量に汲み上げることが出来た。「ヨシ、これなら大丈夫だ」と先輩の顔がほころぶ。
水を汲み上げたことを確認し、手押しポンプを撤去する。防災委員会から、「手押しポンプをつけておくと、子どもが水を出して周りがベタベタになる」と言われているからだ。手押しポンプを知らない子どもたちのためには、実物があった方がいいのにと思うが仕方ない。
昨夜、この市の同年者の集いを開催した。欠席者も3人いたけれど、全体としては大いに盛り上がり、楽しいひと時を過ごしていただけたと思う。75歳、誰もがそれぞれに長い人生を積み重ねてきた。悔しいことも情けないことも楽しかったことも、人にはそれぞれ数えきれない思い出があるだろう。
そんな昔のことは忘れて、今を楽しむ。気楽にバカ話して、笑って食べて飲んで。でも、よく見ると飲む量は減った。食べ残しもある。みんなが笑顔ならそれでいい。私は何時まで幹事を務めることになるのだろう。誰か替わってくれないか。
私たちはどうしてなのか、みんなが同じことをするように教えられてきた。人と違うことをするな、列を乱すな、人に迷惑をかけるな、そんな規律の中で育ってきた気がする。でも実際は一人ひとり皆違う。誰も同じ人はいない。金子みすずの詩「みんなちがって みんないい」のだ。
権力は画一を好むけれど、私たちは誰もが一人ひとり違うので、自己を抑えて生きてきた。けれど75歳になり、自由気ままでいいじゃないか、そんな解放された自己があった。