友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

リーダーの条件

2007年11月21日 23時47分33秒 | Weblog
 今晩は友人宅で宴会である。先日、もう1家族誘って一緒に来ないかと言われた。そのことを伝えると二つ返事で「いいですよ」と答えてくれた。本当に気のおけない人で、気持ちがいい。私よりも4つ年上の兄貴分でもある。困ったことがあるとつい甘えてしまうが、いつも気安く「いいですよ。お手伝いすることがあれば言ってください」と答えてくれる。

 「今晩、宴会をしないか」と誘ってくれた友人も、一緒に行く友人も、子どもの頃はガキ大将だったと言う。私は小学校の5年生になるまでは、おとなしいだけの子どもだった。通知表にはいつも「積極性が欲しい」と書かれていた。4年生の時の写生大会では、クラスのボスに命じられて、彼の写生を描いて、それから自分の絵に取り掛かったが、時間がなくてできなかった。ボスの絵は入賞したが、私のものは無様なものだった。

 私を変える事件は、5年生の時に起こった。クラスの男子がほとんど全員参加した授業ボイコット事件である。振り返ってみると、若く溌剌とした担任の女教師への思慕が裏返ってしまった行為だったように思う。ボイコットの過程で、裏切りが発生し、何人かが脱落していった。みんなで決めておきながら、自分だけいい子になろうとする行為が私には許せなく思われた。私が男らしいと憧れていた男の子が責任を取る形で、転校していった。

 私はクラスの級長を務めてきたが、人前に立つことはイヤだった。小学校5年生で、これではイカンと思うまで、授業中に進んで手を上げる子ではなかった。引っ込み思案で、いつも目立たないようにしていた。身体も小さくて色白で、女の子のような男の子だった。姉の夫が私を可愛がってくれて、姉の家に遊びに行くと、部屋の中で相撲を教えてくれた。何度も何度もひっくり返され、どうやったら小さい身体でも相手に勝てるかを教えてもらった。

 小学校の6年生の時には、児童会長にもなったのだから、それまでの消極的な子どもとは違ったはずだったが、決定的になったのは中学1年の時だと思う。どう言い訳かまた級長を命じられて、クラスに号令をかける役だった。クラスにはヨソの小学校からきた強面の奴がいた。私の号令など無視して、私を馬鹿にしていた。いつだったか、余りにも馬鹿にした態度だったので、姉の夫から「ケンカは先手必勝」と言うとおりに、その男に突き進み持ち上げて、思いっきり教室の後の壁にたたきつけた。

 おとなしいだけだと思われていた私が、思わぬ行動に出たのでその男は全く反撃できなかったし、クラスの連中は驚きとともに、何をするかわからない奴という目で見るようになった。それからはリーダーとして、自分を自覚するようになったし、自らリーダーを務めるようになった。リーダーの資格はなんと言っても気配りだと思う。クラスの一人ひとりがどういう状況にあり、何を求めているか、きちんと把握していなくてはならない。自分のことよりもみんなのことを考える懐の深さがなくてはならない。

 今、戻ってきた。今晩の宴会はとてもよかったなと思う。3組の夫婦は全く違うけれど、それぞれに個性的だ。夫婦でありながらまた、それぞれの個性が目立っている。こんな歳になる前に、こうした機会が欲しかったと思い、いや待てよ、こうした歳になったからこうした機会がもてたのではないかと思うようになった。人の出会いは神が決めた運命である。運命を素晴らしいものにするかしないかは、また本人が決めることだ。
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