友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

東野圭吾の小説『夜明けの街で』

2007年11月22日 20時23分23秒 | Weblog
 寒い日が続いている。今朝は仙台で雪が降っている映像がテレビから流れてきた。11月の初めの頃だったと思うけれど、学校祭の振り替えで平日が休みになったので、高山へ出かけたことがあった。こちらではよい天気だったのに、列車が進むにつれて天候は思わしくなく、高山駅に着いた時は雪が降っていた。初めて見る高山の雪景色だった。市内観光のバスで見学したけれど、雪のために足元がベタベタになり、靴の中にも染み出てきて、指先が冷たかった。

 高山をさらに北上すると越中八尾に出る。私はまだ行ったことがないけれど、高橋治の小説『風の盆』の舞台となった八尾である。ストリーは忘れてしまったが、石川さゆりが「風の恋盆歌」という題で歌ってヒットした歌の下敷きとなった。八尾には毎年何万人という人々が訪れるそうだ。どうしてそんなに人の気持ちを引き付けるものがあるのか、一度は自分の目で見てみたいと思う。それに、小説の中に出てくる「酔芙蓉」がどんな花なのかも気になる。

 友だちが東野圭吾の小説『夜明けの街で』を取り上げていたので、私も読んでみた。いつか二人であるいは何人かで、読書感想を話し合う機会があるかもしれないと思ったからだ。彼は「エンターテイメントの一つとして、よく練られたミステリー小説と割り切って読めば、退屈しのぎには丁度いい」と書いていた。「主人公の心情が、読み手である私の琴線に触れてこない」「あらゆるDetailがはしょり過ぎているようで、物足りなかった」とも書いていた。

 私は現在の作家をほとんど知らない。なぜか興味が湧かないのだ。20歳頃は高橋和巳や柴田翔、あるいはもう一度読み直してみようと大江健三郎を読んだ。けれども以後、心惹かれる小説に出会わなかった。村上龍や田中康夫のような芥川賞作家の受賞作品も読んだけれど、何も覚えていない。大原富枝や山田詠美の作品で心惹かれたものがあったが、題名も覚えていない。

 友だちは高校時代には文芸部部長を務めたくらいだから、文学への関心は私などよりはるかに高い。その彼が「退屈しのぎには丁度いい」と一刀両断に言い切るのだから、そんな程度の作品ということなのだろう。私はミステリー小説としては傑作ではないかと思うけれど、生きることの苦悩とか喜びとか、登場人物の人間関係における愛情や憎悪、人生とは何かを提起することに欠けるように思う。男と女の出会いと別れを刻々と綴るだけでは「退屈しのぎには丁度いい」ものでしかないのかもしれない。

 友だちは12年間、もっとも大切な女友だちと「友だち以上恋人未満」の関係を続けている。ブログで見られるその過程と現在の心境の方がはるかにドラマチックで文芸作品のように思える。それは彼の妄想の世界、創作の世界なのかもしれない。彼にぜひ「物語って欲しい」と願っているのも、人生は何かを示してくれそうだからだ。
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