友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

年末の大掃除

2011年12月18日 18時42分21秒 | Weblog

 12月もあと14日で終わってしまう。今年も残り2週間しかない。年賀状の図案は出来たけれど、どうしてこういつもやっつけ仕事になってしまうのだろう。絵描きを目指したのだから、もう少し納得いく絵が描けないものかと思う。印刷屋さんが「似顔絵もそっくりでしたけど、器用ですね」と褒めてくれるけれど、絵描きなら普通のことで、むしろ才能がないことや余裕がなかったことから絵描きの道は諦めた。もし、70歳を超えても元気ならもう一度絵筆を持とうと思ってはいるけれど、そんな夢のようなことは実現しないだろう。

 

 今日はマンションの年末大掃除だった。私と一緒に自治会の役員をやってくれた人がとてもきれい好きで、みんなと一緒に行動することが大好きで、年末の大掃除を提案し、以来ずっと続いている。私も組長だからサボるわけにはいかず、午前9時30分の集合に合わせて出て行ったら一番だった。前日に庭木の手入れをしてくださった人がいて、その切り落とされた枝を束ねて指定場所まで運ぶ作業を行った。相変わらず高齢者が多いけれど、見ると若いお母さんたちもたくさんいる。それに子どもたちが結構参加していた。

 

 私は役員ではないのだから表に出ないようにと思っていたのに、指揮する人がいないので、「ゴミ袋を持ってきてここにある枝を袋に詰めて」と子どもたちに指示してしまう。「何しましょう?」と声をかけてくるお母さんもいたから、「じゃあ、すいませんが枝を束ねられるように集めてください」と言い、子どもたちに「それがすんだから次はこの枝を縛るのを手伝ってね」と声をかける。「はーい」と子どもたちも素直だ。「5年生はよく働き、優秀だね」と褒める。みんなはますます進んで手伝ってくれた。私もよく働いたので、汗をかくほどだった。何度もゴミ袋を集積所へ運ぶうちに次第に右膝が痛くなってきた。11時半、そろそろ終了の時間だが、それを告げる人がいない。「私が言うことではないけれど、ご苦労様でした。これで終わりましょう」と声をかける。

 

 役員さんも何人かいるはずなのだが、誰がどこでどう行動するのか、役割分担がはっきりしていないようだ。会長さんは集会所の中にいて出てこないし、副会長さんはお正月のどんと焼き用の木材を切っている。行事担当の若い役員さんだけがウロウロしている。それにしても、このマンションはみんなで自分たちの住居をきれいにしようという意識が高い。出てこない人もいるけれど、出てきた人は不平も言わずよく働く。だからこそ住みよいとみんなが感じているのだろう。

 

 夏の暑い日に、うまく歩けなくなって倒れてしまった人を助けたことがあったが、その人から「あの時はありがとう」と今日、声がかかった。ずいぶん前に自治会長までされた方で、以前はよく話もしたが、私が会長の時に「保険を見直したい」と言って以来、口を利いてもらえなかった。その人は保険の仕事をしていて、無理して安い保険料で保険をかけていたのに見直すとはという思いが強かったかのだ。たとえそうした事情があるとしても、見直しの作業は必要だろうと思い、他社からも聞いて保険料は下げることが出来た。

 

 しかし、今日はとてもにこやかで元気そうだった。あの時のわだかまりはもうすっかり消えていた。人は出会いと別れを繰り返しながら、人生の大切なものを蓄えていく。膝は痛くなったけれど、気持ちは晴れやかになった。

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