懐かしい顔があった。日曜日の中日新聞『家族』に、ボクシングの世界王者・畑中清詞さんが出ていた。私が地域新聞を始めた頃、「ボクシングで世界チャンピオンを目指している子がいる」と聞いて、アルバイトをしていた喫茶店で取材させてもらった。
「背も高くなく、強そうでもない、優しい青年(少年に見える)」と『町で一番』というコーナーで紹介した。「高校3年でプロボクサーを決意し、初戦から5試合を全て第1ラウンドでOK勝ち」、「3月4日大阪で行われる全日本新人王決定戦に燃えている」と結んだ。
この時、彼は「世界一が目標」とはっきり言った。新人王決定戦は1R1分37秒KO勝ちだった。具志堅用高氏に「世界を狙える逸材」と言わせた清詞さんは1991年、世界チャンピオンに輝いた。私は「世界一の座を自らの力で手に入れた、傷だらけのしかし喜びにあふれた息子をみて、母親の紀子さんの目が涙で輝いていた」と1面トップに掲載した。
翌号では見開きの2ページを使って特集し、「世界チャンピオンが誕生したんですよ」と、町長に頼み込んで町主催の『祝勝会』を開いてもらった。また、中日新聞の協力で『栄光の世界チャンピオン・畑中清詞フォトパネル展』を地域新聞の主催で行った。
チャンピオンになる3年前、母親の紀子さんを『奥さんこんにちは』のコーナーで紹介しが、とても気さくな人で、馴れ初めまで話してもらった。子育てについて尋ねると、「好きなことをやらせてきました。できるだけ応援して、親の権威を振りかざしたしたことは一度もありません」と言った。
畑中清詞さんも中日新聞に、「両親はいつも俺が願うとおりにさせてくれました。意見されたり反対されたしたことは全くない。ただ応援」と答えていた。新聞の写真は、ちょっとテレ屋の父親の顔にそっくりになっていた。陽気な母親の血を受けて、前向きに生き続けている姿になぜか嬉しくなってしまった。
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