いじめ問題で教育行政に批判的な発言をしていた教育評論家の尾木直樹さんとは思えない言葉だった。埼玉県の高校の先生が入学式を欠勤し、自分の子どもの入学式に出席した。これを尾木ママは、「職業教師としての自覚と責任に疑問が残る」と批判した。何をもって職業教師というのか分からないが、先生は警察官と同じように高い倫理観を持つ職業ということなのだろう。そのとおりであるし、多くの教師が高い倫理観を持っていると思う。
尾木ママは「入学式は単なる儀式ではない。子どもたち一人ひとりがどんな表情をしているかを把握する大事な日」と言う。そのとおりだと思うけれど、入学式はこれから始る長い月日のホンのわずかな時間に過ぎない。「私が担任です。これから1年間よろしく」の挨拶で終ってしまう。挨拶もせずに「今日はこれで終ります」と言う先生もいる。副担任もいるから新入生が不安になることはないし、高校生なのだから翌日からの接し方で十分回復できるはずだ。
「忙しい親が入学式に出席しているのに、担任が休むとは何事だ」と言った人がいたが、親は我が子の晴れ姿を見たいためだ。担任がどんな人物かを見定めたい気持ちはあるだろうが、すぐに懇談会があり、小中学校なら担任による家庭訪問が行なわれる。担任は校長に相談し、届けを出して入学式を休んだ。新入生には「ゴメンナサイ」と文書も用意している。ワイワイ騒ぎ立てるような問題ではないように思う。
生徒が問題を抱えて困っているのに、「先生は休むから」というわけではない。この先生も教育には熱心で子どもたちへの思いやりが深いと思う。騒ぎ立てたのは、この高校の卒業生で来賓として出席していた県議だ。インターネットに、「簡単に職場を放棄する態度には憤りを感じる。権利ばかり言う教師はいらない」と書き込んだ。県議は母校が軽んじられたと感じたのかも知れないが、私には思いやりのない浅薄な議員としか思えない。
大学の入学式や卒業式に、父母だけでなく祖父母までが参列する社会である。いや、入社式にも父母が付き添うという。子離れが出来ていないと批判するけれど、我が子の姿を見ておきたいと思う親の「欲」であり「愛情」でもある。「夫がいるのに、仕事をするな」とか、「子どもを預けてまで働くのは、子どもがかわいそうだ」と、批判する人たちには理解できない社会になってきたのだ。
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