友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間には現在と未来しかない

2012年06月30日 18時40分35秒 | Weblog

 とうとう6月30日になってしまった。今年も半年が過ぎていった。今日、井戸掘りをしていた時、先輩が面白いことを言った。昨日までは1日に4メートル掘り下げることが出来たのに、今日はそういかなかった。固い地層に出会ったようで、1時間かけても10センチほどしか掘り進めない。ひとりが「掘れないねえ」と嘆き、希望を失いかけた時だ。

 「人生には未来と現在しかない。未来は想像できる。しかも創造も出来る。しかし、過去は現在の積み重ねでしかない」と言う。「まるで哲学者だねえ」とみんなで冷やかすと、「だってそうだろう。過去は思い出せても取り返すことは出来ない。未来は予想し、修正することだって出来る。野球をするだろう。打った瞬間は現在だ。しかしその時、野手はどこに飛んでくるかを予想して動く。打者もセーフになるように走る。だから、人間の社会には現在と未来しかないのだ」とムキになって説明した。

 掘れないことを嘆くヒマがあったら、掘ることを考えよというわけだ。そんな話から、「昔の人は偉いよ」ということになった。現在に生きる私たちは、「ちょっと掘れなくなったからとすぐに他にいい方法はないかと考える。昔の人もきっと考えたはずだが、情報量が違うから、自分たちが持っている範囲でしか思考は出来ない。その結果、ただひたすら水が出るまで掘る以外になかっただろう。黙々と同じ作業をくり返し、水脈に当たることを祈っていたと思うね」。「機械文明の発達で、人間は楽をして結果を出す思考になってしまった」。「そうかも知れないね」。

 機械文明の発達で、人間は労働時間を短縮して生きていけるようになったはずだ。ほんの少し前の時代と比較しても、その生産能力は桁違いに伸びている。だから人類全体では富は増え、豊かさは保証されたはずだ。しかし、現実には食べていけない人が増えている。若い人の働く場所がない。そんなことはない、選り好みしなければいくらでもあると言う反論もある。どっちが本当なのか分からないけれど、若い人たちの思いや考え方は、年寄りには何時の時代も理解されにくい。

 老後をどこでどう過ごすか。そんな話になった時、「年寄りを福島に集めたらいい」という冗談が飛んだ。私はその考えは面白いなと思った。人はただ存在しているだけでは生きていけない。年老いて、社会的な生産力にはなれなくても、何か意味のある、価値のあることに関わりたい。福島で老後を過ごすなら、こういう仕事がある、そのためには生活はこのようにできる、そんな仕組みが発表されれば賛同する人たちもいるだろう。

 井戸掘りの方は、道具のひとつが壊れて修復不能となり、今日の作業を終了した。帰宅の途中でその部品を買い、明日こそは最後の山場だと決意を新たにする。決意が現在なら、未来はどうなるかだけれど、予想では水脈に到達するはずだがその根拠は希薄だ。それでもやってみなければ分からない。

コメント
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