気のせいなのかも知れないが、ペースメイカーの植え込み手術を受けてから、力仕事が出来なくなった。胸の筋肉を使わないようにしていると言うわけではなく、力仕事をするとすぐに息が切れてしまう。気が遠くなっていくような気分になる。手術前は、たとえ脈拍数が30台であったとしても、別に息が切れることは無かった。年齢の割にはというか、身体の割には力持ちで、どんなに力仕事をしたからといっても、こんなにも疲れてしまうことは無かった。「歳相応になったのよ」と言われてしまえばそれまでで、力が無くなった事実に気付くべきなのかもしれない。
自分のことは意外に気付かないことが多いし、それはきっと気付きたくないという気持ちの裏返しなのかも知れない。今日は井戸掘りで、半田まで行った。長い間休んでいたリーダーも今日から井戸掘りに加わったが、はじめのうちは口だけの参加であった。しかし人の常とは恐ろしいもので、あんなに身体のあそこが痛いここが痛いと言っていた人が、軽い作業とはいえ自然と身体を動かしている。そればかりか、いつものような下ネタまで飛び出している。ここまでくればきっと元気になるだろう。青白かった顔が赤みを帯びてきている。
リーダーも自分の身体のどこが悪いのか、よく分からないようであるし、幾つかの病院にもかかったけれど、医者の診断もまちまちだと言う。原因が何であれ、身体から痛みが無くなればいいわけで、医者の処方よりも本人の気持ちの持ちようなのかも知れない。本人の気持ちの持ちようと言うよりも、考え方というか、生き方の違いだなという記事に出会った。先週の土曜日、朝日新聞Be版の『悩みのるつぼ』に、19歳の学生から「婚外恋愛はごまかしで、人間の行為として鑑みると背筋が凍る」という意見があり、「婚外恋愛に肯定的な方の回答をお願いする」とあった。
私は高校生の時、中学の時から好きな女の子がいたのに、その子とは別の女の子が好きになった。そればかりか恋愛感情もない年上の女性に欲望を抱き、自分はなんという汚い人間なのかと悩んだ。この19歳の学生のように、「1つの関係を清算してから次にかかるのが、恋愛のみならず人間関係のルール」ということも許せないくらいの絶対の「愛」を考え、そうならない自分に絶望し、どうしたら良いのかと悩み続けていた。ひとりの人を愛し続けたいのに、なぜ出来ないのだろう。それは自分の落ち度なのか、そもそも人間はそういうものなのか、考え続けてきた。
回答者は社会学者の上野千鶴子さんで、学生の言うように「結婚は契約」と言う。上野さんは、結婚とは、「たったひとりの異性に、排他的かつ独占的に自分の身体を性的に使用する権利を生涯にわたって譲渡すること」であると、法律用語で定義する。そして、「この契約、守れますか?」とたずねる。「わたしはこういう契約は恐ろしくて結べません。約束しても守れそうにないので、いちども約束しないできました」と言う。結論は「そもそもセックスの相手をおクニに登録して契約を結ぶ必要なんてない、と思いませんか?そうすれば『婚外恋愛』も『不倫』もなくなります。登録は親子関係だけでじゅうぶん」と。上野さんらしい回答だと感心した。人の気持ちというか感情を、法律や制度で縛ることは出来ないと言うことである。