友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

順序があるようだ

2012年06月24日 22時04分44秒 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『平清盛』を観ていて、時代が変わるというのはこういうことなのかと思った。もちろん、現在に生きていて、昔のことを知っているが故のことなのかも知れない。しかもドラマだから、本当に清盛が言ったかは定かではない。清盛は「新しい世をつくる」と言う。これがこのドラマの主軸なのだからそれでいいけれど、「新しい世」とは何か、清盛の頭にあったものは「武士の世」でしかない。

 私たちが知っている平清盛によって作り出された「武士の世」は、結局は武士が貴族と同じ位置に上がり、摂関家の藤原氏のように天皇家と姻戚関係を結び、政治の頂点に武士が立つことだった。平清盛はそれを実現したけれど、政治のスタイルとしては貴族政治である。本当に武士が権力者になったのは、源頼朝が行なった鎌倉幕府からだ。源頼朝は京都から離れた鎌倉に幕府を開き、武士たちによる政治を開始した。

 平清盛が新しい政治を目指していたにもかかわらず、貴族政治の域を出なかったのは、やはりそういう時代であったとも言える。だからこそ、源頼朝は清盛の限界から学んだとも考えられる。戦国時代を経て、徳川家康が開いた武士の政治スタイルが完璧だったのは、先に織田信長や豊臣秀吉がいたからで、彼らがなそうとしたこと、そしてなすことができなかったことの原因を徳川幕府は学んだ上に構築している。

 今、民主党が政権の座には着いたけれど、選挙で掲げたマニフェストは何ひとつ実現できずに、逆に自民党政権がやりえなかった消費税増税を、民主・自民・公明の3党で実現しようとしている。自民党政権から「新しい世をつくる」はずであった民主党では、出来ないことが明らかとなった。そこで、やはり次の政治のスタイルが出てくるのだろうけれど、今はその模索の時というか、転換の時なのだろう。

 今日、「井戸の水が出たり出なかったりするから見て欲しい」と言う守山区の住宅を訪ねた。井戸は打ち抜きで鉄管によるものだった。砂取り器が付いていて、電動ポンプは比較的新しいものだった。鋳物で出来た砂取り器をはずしてみると、中は砂ではなく赤錆でいっぱいになっていた。そこで、鉄管の中にコンプレッサーでエアを入れてみる。鉄管の中の掃除である。次に鉄管の中に塩ビ管を入れて、ガソリンエンジンで吸い上げてみると見事に水が上がってきた。

 これなら井戸は充分に作用するであろうと復元し、電気のスイッチを入れるが一向に水を汲み上げる気配がない。結局は右往左往した挙句、どうも砂取り器の錆をきれいに取ったためにどこかからエア漏れが生じているようだ。最後になって万事休すである。砂取り器を新し物に取り替えるしかないが、依頼主から見れば昨日までは水が出ていたから、まるで私たちが砂取り器を壊したように思うだろう。

 手順を間違うとこんなにも結果も違ってくる。平清盛になるか、源頼朝になるか、運命の分かれ道である。さあ、どうするか、困った、困った。

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