テレビ朝日の『報道ステーション』で、キャスターの古館伊知郎さんとコメンテーターの三浦俊章さんが、「国にお金がないことは誰でも知っている。皆さん、増税は止むを得ないと思ってはいる。けれども、今やることなのか、それが問題ですよ」と話していた。えっ、テレビ朝日もかと思った。野田内閣が消費税増税を政治生命をかけて実現させると言った時、どこのテレビも「それはないでしょう」と批判的だった。それが最近では、増税は仕方ないけれど時期が間違っているといった調子に変わっている。
今国会で増税法案を何が何でも実現させると民主党執行部は言う。関連法案の成立のためには、あらゆる妥協を惜しまない有様だ。今朝の新聞には、民主党と自民党は社会保障改革で合意したとあった。それを報じた中日新聞のコラム『中日春秋』は、「民主党が自民、公明両党と新たな原子力規制組織の設置関連法案に関する修正協議で合意した」ことに触れ、「今後発足する原子力規制委員会が速やかに(稼動を)判断し、見直すとの規定も入った。これでは規制委の判断次第で(原発の)寿命が延長されかねない。〈略〉消費税増税のことなど、ただでさえ、民主党はどんどん自民党に似てきて〈略〉数少ない違いがまた1つ消えることになる。」と書いていた。
「もしこれ以上自民党にそっくりになるなら、もう民主党はいらない」というわけだ。どうして野田首相は「不退転の決意」で、増税を行いたいのだろう。いやそればかりか原発についても、「国民の利益を守るのが政治」と前置きして、「そのためには原子力発電は不可欠です」と言う。ここに野田首相の頭の中の構造が現れている。首相になったからには、現在あるものをより発展させて行く使命があると。官僚たちにそのように説得されたのだろうが、それはこれまでの政治の形だと思う。
私はギリシアやフランスの選挙に注目している。ギリシアの国民も好き好んで財政破綻になったわけではない。どこの国も行っている右肩上がりの経済政策を続けてきた結果だ。今、世界は、特に発展途上国以外はみな経済の伸び悩みに苦労している。資本主義社会が頂点に上り詰めた時、次にどうなるのか。国家が経済をコントロールすることになるのか、それともさらに自由な経済競争が新しい道を開くのか、もっと全く違う展開になるのか、とても興味深い。ギリシアやフランスの選挙はそうした方向のさきがけとなるのだろうか。
「増税しなければ財政破綻を招くことになる」と政治家たちは言う。「いや、その前に緊縮政策を徹底し、支出を抑えるべきだ」とも言う。どうも全てが、現在あるものを踏まえているけれど、現在あるものをゼロにしては考えられないのかと思う。議員定数を減らせとか公務員を少なくせよと言うけれど、議員は必要なのか、公務員がなくてはダメなのか。石原知事が「ドロボウが入ってこようとしているのに、これを防ごうとしない国がどこにあるか」といきり立っていたけれど、ドロボウの存在そのものをなくせばいいではないか。国だとか国境だとか、そういうものが必要なのだろうか。発想を変えて考えて欲しいと思う。