友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

一任なんておかしいと思う

2012年06月26日 23時02分20秒 | Weblog

 今日の衆議院本会議で、消費税増税案に対して民主党議員の57人が反対票を投じ、16人が棄権または欠席した。これに対して民主党はこれらの造反者の処分を野田党首と輿石幹事長に一任するという。一方、党首が政治生命をかけるとまで表明した法案に反対した民主党議員は、「これからのことは私ひとりに任せて欲しいということで、みなさんに了承していただいた」と小沢さんが言うのが正しければ、これから先のことを小沢さんに一任した。

 これって、おかしくないだろうか。国会議員にまでなった大人なのに、消費税増税に賛成した議員も反対した議員も、自分の意思をひとりあるいはふたりの人に任せしてしまう。これではまるで、小学生の議論と同じではないのか。いや、小学生でもちょっとおませな子なら、ハッキリと自分はこう思うと発言する。いや、私はこう思うと発言してこそ大人の議論というものではないだろうか。

 大人は真摯に深く議論なんかせずに、「一任、一任」と言ってきた。確かに自分はこう思うと発言すると、「うるさいヤツだ」と敬遠されたりする。「細かいことは言わずに、それなりの人に任せておけばいいのだ」という空気がある。そうすれば自分が責任を負うことはないし、うまくいけば任せた人から「ありがとう」と感謝される。仮にうまくいかなくても、その時は任せたヤツの力が無かったと逃げることも出来る。そうした言動こそが大人なのだと思われてきた。

 だから、私たちは議論が下手だ。議論するとケンカしているように思ってしまう。自分の意見を述べ、相手の意見を聴き、互いの意見の矛盾や弱点を克服していくことが私たちは苦手である。しかし、人に任せてしまって、何が民主主義と言えるのだろう。残念ながら、今日の事態を見る限り、民主党には民主主義が存在しないし、民主主義とは何かと考える議員もいない。私も消費税増税に反対だ。原発の再稼動も反対だ。だからこそ、消費税増税をしない社会の、原発を再稼動しない社会の、議論をしたい。

 野田首相の演説は美辞だが内容がない。「決める時に決める政治」とか「先送りしない政治」と力説しても虚しい。だから何をするのか、どういう社会にしていくのか、そのビジョンを描かずに美辞を語っても心に響くものがない。小沢さんは「マニフェストに違反する増税は国民の支持が得られない」と言うが、民主党政権が誕生した時になぜマニフェストの実現に向かわなかったのか、幹事長だった小沢さん自身の責任を棚上げにしてしまっている。

 野田さんも小沢さんも、私には信頼できる議員とは思えない。次の総理大臣と週刊誌がもてあそぶ大阪市の橋下市長も、私は立派な政治家とは思えない。もちろん名古屋市の河村市長、愛知県知事の大村知事もそんな期待できる政治家ではない。新聞や雑誌の論説や論文を見ると、もう50代や40代の学者や評論家が筆を振るっている。団塊世代はもう隠居すべきだなあーとこの頃は特に感じる。大胆なことを言えば、いつまでも他人任せでいるような人は引退すべきなのかも知れない。

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