友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『生まれ出づる悩み』

2012年06月08日 21時28分19秒 | Weblog

 先日の強風で、植木鉢の壁にへばりついていたアゲハチョウのサナギが落ちていたのを拾って、床の上に置いておいた。今朝見るとサナギの色が変わっていた。よく見ると羽の色がわかる。そろそろ羽化するだろうと思ったのにその時は、羽が伸ばしやすい位置に置き換えてやることまで思わなかった。昼から買ってきた苗を植えようとして、ルーフバルコニーへ出て植木鉢を眺めていた時、何か動くものがあった。見ると羽化したアゲハチョウがもだえている。片方の羽がうまく伸びなくて飛び立てないでいる。急いで手を差し出すと指に絡み付いてきたので、ミカンの木に移してやったが、この雨では長くは生きられないだろう。

 中学だったか高校だったか、覚えていないけれど、『生まれ出づる悩み』を書いた有島武郎のことを思い出した。この小説がどんなストーリーだったのか、いやそもそも読んだかどうかも定かではない。有島武郎は明治11年、大蔵官僚の長男として生まれ、学習院から札幌農学校へ進み内村鑑三らの影響を受けてキリスト教に入信した。アメリカに渡ってハーバード大学などに通い、社会主義やイプセンなどの西欧文学、ニーチェなどの西欧哲学の影響を受けた。ヨーロッパにも渡っている。中学生か高校生の私が、有島武郎のことで一番関心を持ったのは、自分が所有していた農地を小作人に解放したことだった。

 キリスト教の信者で、社会主義に傾倒していくことに自分を重ねていたような気がする。その頃は有島武郎を人道主義の立場に立ち、志賀直哉や武者小路実篤らと『白樺』を発行する上流家庭の文化人というくらいにしか受け止めていなかった。キリスト教的な「愛」と、働いても幸せになれない普通の人々の現実、恵まれた自分と自分の内にある才能、彼には悩みながら変えられない価値観があった。それは雑誌『婦人公論』の記者だった波多野秋子との心中に現れていると思う。学生の頃は「最後は心中か」と、太宰治と同じように受け止めていたが、最近になって新聞だったか何かで、心中のいきさつを知ってなるほどと思った。

 文人の不倫事件は結構ある。有島武郎は妻を亡くしていたが、秋子は人妻だった。夫は実業家で「熨斗をつけて進上してもいいが、俺は商人、無償で提供するわけにはいかない」と金銭を要求した。文人の中には金銭で解決した例もあるが、有島は「愛している女を金に換算する屈辱は忍び得ない」と断ってしまう。秋子の夫にとっては想定外のことで、「必ず金は取ってみせるからそう思え」と捨て台詞を吐くしかなかったようだ。武郎と秋子は翌々日、つまり6月8日の午後、誰にも行方を告げずに軽井沢の武郎の別荘に向かい、首を吊って死んだ。ふたりの遺体が発見されたのは1ヵ月後の7月7日で、腐乱し朽ち果ていたそうだ。

 武郎が秋子と出会ったのはわずか7ヶ月前のことだ。プラトニックなものだったかも知れないし、そうでなかったのかも知れない。いずれにしても潔い最期だったと思う。上流社会の軟弱な男であっても、最後は考え抜いた末の決断だったであろう。秋子はどんな思いで共に死ぬことを選んだのだろう。

 さて、明日と明後日はブログを休みます。明日は教員をしていた時のクラス会で、明後日は誕生日会です。

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