友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

多数決をやめたらいい

2012年06月20日 19時01分51秒 | Weblog

 台風は慌しく通り過ぎたけれど、消費税増税法案を巡って民主党は、昨夜は荒れた。全く考え方や政策が異なっている人たちが政党を作っていること自体が奇妙だ。小沢一郎さんの政治資金問題で、自民党時代と変わらない資金集めに嫌気がさしていた人たちも、小沢さんの増税反対は正しいと言う。あの時が選挙であれば、小沢チルドレンたちはほとんどみんな落選だっただろう。小沢グループが増税反対を最後まで貫き通したなら、半分は再選されるかも知れないが、民主党公認は得らるだろうか。

 以前なら、公認候補はいろんな組織がこぞって応援したから当選は確実だったけれど、最近は組織というか団体などの推薦は縛りが効かなくなっている。日本だけではなく、この前のフランスの選挙でも、当選すれば下院議長と言われていた社会党のロワイヤルさんが、左派系無所属の候補に敗れている。オランド大統領も元妻であるロワイヤル党公認候補を応援したにもかかわらずである。日本でも労働組合は選挙員としては働いても、組合員が全て投票するかと言えばかなり疑問だ。それでも地方になればなるほど、組織のトップからの指示を受ける傾向は強い。

 民主党の人たちは、「首班指名選挙とは違い、政策だから、反対しても除名処分は行なわないだろう」と言う。「民主党が分裂する事態だけは避けよう」と言い合っている。除名する側もされる側も、いずれも民主党が頼りなのだ。政治学者の佐々木毅さんが「政党という組織があって政策があるということと、政策があって政党が初めて存在するというのは、非常に違うということである」「政策がなくなれば政党もなくなることになろう」と書いていたが、政策のない政党になぜ固執するのだろう。

 私の住む市で、左派系無所属で頑張っている市議がいる。今日入っていた彼の『議会だより』に「議会人事にはウンザリ」という文面があった。「市議会は会派制ですので、会派の大きい順に役員ポストが埋まっていくのが慣例です」と延べ、「会派の大きい順に役員を決めるのではなくて、その役職にふさわしい人を選ぶのが公正な人事というものです」と主張する。しかし、「役員になりたくて最大会派に入るわけだから、絶対にポストは譲らないでしょう。指名推薦だろうが、投票だろうが、残念ながら選挙の結果は何も変わりません。民主主義もへったくれもないような振る舞いを見せ付けられるのは、ホントにウンザリです」と嘆く。

 嘆いていても何も変わらない。民主主義とは多数決だとみんなが思っているからだ。数がひとりでも多ければそれが全体の意見だと言う。それは違う。採決でたとえば6対5であっても、それが11人の意見ではない。数が少ない側が多数派になれることは滅多にないけれど、何でも多数決で決めればいいと思っている連中の思考回路に迫ることが必要だ。そのためには情報公開が大きな力になる。ひとつひとつ細かく市民に知らせていくことだと思う。

 マスコミは政局を面白がって報道するが、もっと議員一人ひとりの言動を細かく報じて欲しいものだ。政局にみんなが振り回されるなら、誰がどうしたとばかりが話題となり、誰も傷つかないまま終わってしまう。今は血を流す時なのに、傷つかないことばかりが優先されている。そういう民主主義でいいのかと思う。

コメント
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