友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

杉本健吉と田淵俊夫

2012年06月21日 21時20分58秒 | Weblog

 先日行なわれたクラス会の写真が届いた。写真を見ているとカミさんが、「誰が先生なのかわからない。歳もバラバラに見える」と言う。年齢を重ねるとそこには個人差が大きく表われてくる。その原因がどこにあるのかが分かれば、きっとノーベル賞者かも知れないが、わからない方がいいような気がする。若い時もそれぞれが個性を発揮していたが、年老いてさらにその個性が深化したと思った方がいい。

 2日目はみんなで杉本健吉美術館へ行った。NHKテレビの大河ドラマ『平家物語』に合わせて、こちらの美術館では、吉川英治が週刊朝日に連載した『新平家物語』に杉本さんが描いた挿絵を展示していた。原稿を読んで毎週載せる挿絵を描くのは大変な作業だっただろう。時代考証のためにかなりたくさんの資料を集めたはずだ。そんなことを思いながら見ていたら、「猿の尻尾」というコーナーがあった。

 ひとりの読者から(本当は著名な作家だったが)、挿絵に描かれた猿はタイかベトナムにいる猿で、ニホンザルは尻尾が短いという指摘があった。建物や着物あるいは顔立ちなど、念入りに調べて描いたはずだが、猿の尻尾の長さまで関心が行き届かなかったのだろう。多くの人の前に晒すということは、専門家から間違いを指摘されることになる。時代小説の挿絵は、勝手気ままに描く絵と違ってそこが難しい。

 杉本さんのプライベートなものが展示されている別館で、絵筆と並んで烏口やガラス棒を見つけた。溝が掘ってある定規にガラス棒を滑らせて、面相筆で直線はもちろん曲線も描いたことを思い出す。そういえば、『新平家物語』の挿絵の中に建物の廊下とか板塀とか、烏口でなければ描けないような太さが一定の線があった。「昔はよくこんな道具で描いていた」と卒業生と話が弾んだ。

 今では、ほとんどの作業がパソコンに代わった。微妙な線の面白さはなくなった。むしろ誰でもきれいな線が描ける。難しかった曲線描きも自由自在だ。「濃淡を出すために、僕らの頃は網に刷毛でやった。君らはもうコンプレッサーだっただろう?」と私がちょっと得意になって言うと、「僕らも網に刷毛でしたよ」と言う。学校にはコンプレッサーが置いてあったけれど、あれはもっと後になってからだったのか。

 先日、メナード美術館で『田淵俊夫展』を観た。田淵さんは東山魁夷、平山郁夫に次ぐ東京芸大の日本画の大家だ。メナード美術館ができたばかりの頃、田淵さんの作品を見たが、その時知人が、「お金があったらこの人の作品を買うといいよ。絶対に上がるから」と教えてくれた。そういうことに知識のある人だったけれど、実際そのとおりになった。緑色や青色が特徴の作品で、実に細かな筆遣いに魅せられた。

 どんな風にして描いているのかと思ったが、展覧会では製作風景も展示されていて、やっぱりそうなのかと納得した。ドガは踊り子の一瞬を絵にしているが、写真を使ったと聞いた。横尾忠則や宇野亜喜良は印刷技術を利用して作品を仕上げている。幻灯機を使った画家もいた。田淵さんもコピー機とオーバーヘッドを使用していた。機械を使っていても最後は自分が筆で描いているわけだから、やっぱり凄い作家だ。

コメント
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