友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『笑っていいとも』

2012年06月13日 19時22分32秒 | Weblog

 人気のテレビ番組『笑っていいとも』を時々見ることがあるけれど、どうしてそんなに長く人気があるのか分からない。司会のタモリは66歳というからいわば同年代だ。しかし、どこが面白いのか私には分からない。極めて身内の話で盛り上がっていることが多いし、笑いの元が他人の顔であったり身体であったり、つまり持って生まれたものなのに、それをけなし合って笑いを誘うのは私には許せない気がする。これを学校で行うなら確実にイジメではないか。『笑っていいとも』でやっているようなことをみんなが面白いと思っているのだろうか。仲間内で同じことをやればみんなは笑うのだろうか。

 先日、日曜日の午後、電車に中学生くらいの野球部の子どもが3人乗り込んで来た。野球の試合が終わって帰るところのようだった。真ん中の子が一番ふざけていて、両隣の友だちを相手に平手打ちをしたり、ボクシングを真似てボデイブローを打ったりしていた。ニヤッと笑っては繰り返していたから、彼としては遊んでいるに過ぎない。両隣の子も同じようなことをするなら確かに3人は遊んでいると思ったけれど、やられている2人は避けようとはするが、相手に向かう意志はなく、やられるがままになっている。

 小学校の4年生の時を思い出した。プロレス遊びが盛んで、授業後に教室に残ってプロレスの真似をしていた。けれど、していたのは悪童だった子ひとりで、他の子どもはいやいや彼に付き合っていた。彼の家にはテレビがあったのか、「力道山はこうするのだ」と私たちに教えるが、受ける方は苦痛だった。彼を負かしてはならなかったし、もしそんなことをしたなら、ずぅーといじめられることになるから、とにかく言いなりになるしかなかった。彼は身体も大きく運動も出来る方だったから、クラスの男子で逆らう者はいなかった。また、どういうわけか彼の手下というか腰巾着のような取り巻きもいて、ご機嫌をとっていた。

 『笑っていいとも』を見ていると、そんな昔のことが思い出される。50代の時、偶然に故郷の居酒屋で4年生の時の悪童に出会った。彼の家は自動車の修理工場を営んでいたが、その時の彼は宝石商をしていると言っていた。昔はあんなに威張っていたのに、なんだかスケールの小さな男になっていた。小学校の同級生が「お前にはみんながいじめられたよな」と言うと、彼はきょとんとして、「いじめたかあー?覚えないなあ」と言う。いじめられた方は一生涯忘れられないことなのに、いじめた方は覚えていない。電車の中の子どものように、執拗に平手打ちやボデイブローを繰り返していても、やっている方は遊びと思っているから何も意識していないのだ。

 『笑っていいとも』でも、これは笑いというつもりなのだ。笑い者にされた方もこれは仕事だからと思っているのかも知れない。いや、テレビを見ている方もこれはお笑い番組だからと受け止めているのだろう。しかし私は、他人をバカにしたりするお笑いを恐いと思うし嫌いだ。みんなが笑う側にいるわけではなく、笑われる側に追いやられたなら、どうするつもりだろう。

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