友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

歌人、島秋人のこと

2012年06月14日 19時45分38秒 | Weblog

 切羽詰った人の中には特別な境地にたどり着く人がいる。最近、冤罪が話題になっているけれど、やっていないのに「やった」とされたのではこんな理不尽はない。金を盗んだということで、「仲間はみんなお前がやったと言っているぞ」と言われ続け、「正直に言った方が楽になれる。母ちゃんはお前のために泣いている。母ちゃんのためにも言ったらどうだ」と優しく言われると、だんだんその気になってしまう。そんな話を聞いた。けれども、それが殺人であっても「私がやりました」と言うのだろうかと私が疑問を呈すると、「取調べを受けたらやっぱりそう言ってしまうよ」と教えられた。

 本当に罪を犯した人はどうなのだろう。以前、『吉展ちゃん誘拐殺人事件』の犯人の小原保の短歌を紹介したことがある。およそ文学とは縁のない男だったけれど、刑務所で短歌を学び、歌を作っている。「世をあとに いま逝くわれに 花びらを 散らすか門の 若き枇杷の木」(遺詠)はなぜか清々しい雰囲気がある。小原保は1933年に福島県の貧しい農家に生まれ、6男5女の10人目の5男。幼い時にアカキレから黴菌が入って骨髄炎を患い、足が不自由だった。

 先日、島秋人の話を聞いた。この人も小原保と同年代だ。父親は警察官で、朝鮮や満州で勤務していた。ところが終戦で父親は公職追放となる。母親は肺結核であったが、子どもたちのために自分の食事を半分も食べずに分け与えて、栄養失調で亡くなった。島秋人自身も蓄膿症、百日咳、中耳炎などを患い、そのためか集中力や根気に欠け、学校の成績は最下位で、先生や級友から「低脳児」と呼ばれていた。試験で0点をとり、先生に棒で殴られたこともあった。中学卒業した後、ガラス工場やクリーニング店で働くが長続きせず、強盗殺人未遂で特別少年院に入れられた。

 事件は彼が25歳の時だった。農家の主人とその妻を殺し、現金2千円や時計などを奪い、その数日後には逮捕され、1審で死刑が宣告された。獄中で開高健の小説『裸の王様』を読んで、絵を描きたいと思うようになり、小学校の図画の吉田先生に手紙を出した。学校生活の中で褒められたことは一度しかなかった。それが吉田先生の「君は絵は下手だが、構図がよい」という言葉だった。それで、感謝の気持ちと自身の現状と思いを手紙に書いた。

 吉田先生は島秋人のことは覚えていなかったけれど、自分のたった一言を忘れなかった教え子に涙し、妻と共に返事を書き、短歌3首を同封した。吉田先生のカミさんは短歌を嗜む人で、島秋人から送られてくる歌を見て、才能を感じた。それで彼が住んでいた地名の「島」としゅうじんと読める「秋人」を歌名とさせた。「ほめられし 事をくり返し 覚ひつつ 身に幸多き 死囚と悟りぬ」。「温もりの 残れるセーター たたむ夜 ひと日のいのち 双手に愛しむ」。島秋人の短歌は多くの人に感銘を与えた。やがてそのひとりの養子となり、義母の勧めでキリスト教の洗礼を受ける。

 彼は辞世の歌を6首残している。そのうちの1つ。「この澄める こころ在るとは 識らず来て 刑死の明日に 迫る夜温し」。島秋人のことを教えてくれた人は、「生まれた環境でこんなにも人は違ってしまう。貧しいって罪だね」と言う。

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