友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

運命が変わることはない

2012年06月29日 22時03分02秒 | Weblog

 高校3年の孫娘がやって来て、「夏休みはバッチリ勉強計画を立てる」と言う。進学塾の夏期講習を受け、予備校の自習室で勉強する予定らしい。あんまり張り切ると計画した段階で、満足してしまうことになりかねない。料理をする前から、あれこれとレシピを眺め、それだけでお腹がいっぱいになってしまう人もいる。「そこそこの方がいいよ」と言いたいけれど、そんなことを言ったなら、本当にそこそこどころか、そこにまで至らなくなってしまうだろう。

 私は自分の高校3年の夏休みを思い出し、どうしてあんなに自分を追い込んでしまったのかと思う。私は地方の普通高校へ通っていた。父親も兄もその学校の卒業生で、その地域では名門の進学校だった。しかし、私の期待していた高校と違い、まるで予備校ではないかと、実際に予備校へ行ったこともないのに思った。新聞部にいたから、「高校はこれでいいのか」という主張をしていた。新聞に書くだけでなく、学校が行なっていたゼロ時間授業とか、7時間授業は一切出ないと決めていた。出席すれば予備校化に加担することになるという勝手な理屈だった。

 夏休みも補習授業が行なわれたけれど、それに抗するために一人旅を計画した。いや、計画を立ててははダメだ。無計画こそが重要だと考えた。そうは言っても、目的がなくては動くことも出来ない。小学校の修学旅行で行った京都と奈良をもう一度見ようと思った。京都は美しかったけれど観光地化され過ぎている。奈良はまだ静かな田舎臭さが残っている。その違いを自分の目でもう一度確かめたいと思った。それに、『山椒太夫』の話では確か日本海から京都へ入るから、私も日本海へ出てそれから京都へ行こうと思った。

 父親が佐渡から出した手紙に、「日本海は太平洋と違って海の色が黒い」といったことが書かれていたことも、日本海を見たいという気持ちの原因だ。新潟へ向かえばよかったが、それではお金がかかりすぎるので、若狭の小浜で1泊し、丹後から京都へバスで行くつもりだった。しかし、その路線は廃止になっていた。そんなこんなの気ままな一人旅だった。京都駅前で旅館を探していたら、変なおにいちゃんに呼び止められて、狭い部屋で1泊することになった。

 奈良で法隆寺を見たかったので、車内で出会った女性に「旅館はありますか?」とたずねた。24~5歳のキレイな人で、どこから来たのとか何しに行くのとか話しているうちに、「じゃあ、私が案内してあげる」と法隆寺駅で一緒に降りて、旅館まで歩いた。翌朝、来てくれるようなことを言っていたけれど、実現しなかった。いや、私が先に旅館を出てしまったのかも知れない。旅先で生まれた淡い恋のように私が勝手に思い込んだのかも知れない。

 室生寺でスケッチブックに写生をしていたら、やはり高校生か中学生くらいの瞳が可愛い女生徒が話しかけてきた。住所を書いた紙をもらったけれど、結局手紙は出さなかった。ガリガリ勉強している連中より自分は大人になったと思い、それで充分満足してしまった。あの時、孫娘のようにバッチリ勉強しておけばよかったのかも知れない。それでも運命はそんなに大きく変わることはなかっただろう。

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