街を歩いていたら、満開の梅の木を見つけた。庭の南側という場所のよさかも知れない。友だちと梅の話になった時、「梅は桜よりも開花期間が長いような気がする」と言うと、「そう思うのは種類が多いからで、期間は桜と同じ1週間だろう」と教えてくれた。梅林にはいろんな種類の梅が植えられているので、長く咲いているように思ってしまうのだ。桜はこの辺りではソメイヨシノが多い、一気に咲いて散ってしまうから短く感じてしまったようだ。
チューリップもそうだけれど、花の命はおおよそ1週間というところかも知れない。いや、ランはかなり長く咲き続ける。昨年、10月に開いてくれたクラス会でもらったランは正月を過ぎてもまだ咲いていた。たった1日、しかも夜しか咲かない月下美人のような花は余りにも神々しいけれど、ちょっと寂しい気もする。1週間花を楽しめればよいのかも知れない。鉢植えの白のサザンカがやっと咲き始めた。緑の鮮やかな葉と赤い色の椿はもう時期が過ぎたのだろうか。
このところの強風でサザンカの鉢はひっくり返ってしまった。チューリップの鉢は表面の土が風に抉り取られ、球根がむき出しになってしまった。今朝、早い時間は風がなかったので、サザンカの鉢を直し、チューリップの鉢に新しい土を入れた。毎年冬は風との格闘である。かなりのお金とそれ以上にたくさんの時間を使って、わずか1週間を楽しむ。入れ込んだ割には報われないのは恋愛に似ているし、それでもいいと思うところもそっくりな気がする。
「オリンピックの選手たちは凄い努力をしている。それに比べて自分は全く何も努力してこなかった」と若い友だちが言う。「努力もせずに生きてきた人はいないと思うよ。どんな人でも、どんな立場にあっても、それはそれなりに努力し苦労してきているよ。目に見える人は目立つだけだと思う。もし、努力しなかったと思うなら、これからいくらでも努力すればいい。何に対して一生懸命になるかという違いはあるけど、人はみんな努力しているのさ」。
梅なのか桜なのか、はたまた椿なのか、いいや桃林を見た人ならあの強いピンクで極楽に来たと思うだろう。花もいいけれど、新緑もまた美しい。秋の紅葉だって色鮮やかで見事だ。そんな風に季節は巡り、いつか『葉っぱのフレディ』のように去っていく。それは新しい季節がやって来るためだ。