友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

期待しない時代

2017年02月07日 18時06分31秒 | Weblog

 「衣食住足りて礼節を知る」と書いたけれど、「それは間違いだ」と指摘された。「豊かになると怠け者になる」、そして「政治に対して無関心になる」と言う。どんなに餓鬼状態であっても自分は食べずに他人にあげてしまう人もいるが、それはかなり個人的な差であって、苦しければ理性も無くなるのが人間なのだろうが、豊かさの中ではどう振舞うのだろう。

 私よりも年上の人たちも、私たちも、そして年下の団塊の人たちも、右肩上がりの景気の中で我武者羅に働き、豊かな生活を構築することにためらいは無かった。60年安保、70年安保と過激な街頭闘争に参加した人たちの多くも背広に着替えてサラリーマンとなった。初めは矛盾を感じたかも知れないが、いつの間にか高度経済成長を支える側となって働いていた。

 この世代には、戦争のない世界、ベトナム攻撃の基地となっている日本を変える、そんな願いがあったはずだ。けれども街頭闘争では実現するはずはなく、否定していた選挙で投票することにかすかに期待するようになった。民主党政権の誕生は驚きと希望が同居する出来事だった。しかし、自民党政権と何も変わらないばかりか経験のなさを露呈し、期待は大きく裏切られた。

 時代はいつから変わったのだろう。豊かさが頂点に達してきたのはいつ頃だったのだろう。洋式トイレが普及してきた時、今から30年くらい前に若い母親たちの座談会で、トイレを汚さないためにダンナに「座って用を足してもらっている」と話題になっていた。今、小学校の男子トイレを廃止し全て洋式トイレに改修するという。時代の変化についていけない古い世代の男たちは、「座ると小だけでなく大もしたくなる」と経験のなさを語る。

 核家族でしかも両親は共働きになり、父親の権威は無くなった。子どもたちは親たちに敬意を払うことも無くなった。衣食住は足りているので我武者羅に働くことも無くなり、「誰がなっても一緒」と言うように、「どの政党が政権を担っても変わらない」と冷ややかに見るようになった。何事にも期待しない時代はいつまで続くのだろう。

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高校生の意見

2017年02月06日 18時23分42秒 | Weblog

 中日新聞の投書欄『発言』に時々「ヤング」の特集がある。ふたりの高校生から「憲法第9条の改正」に対して、賛成と反対の意見を載せてあった(2月3日)。反対の女子高校生は「かつて日本は大きな戦争を引き起こしました。その反省から平和主義を唱え、武力を放棄したのではなかったのですか」と言う。男子高校生は「すぐに中国が侵略してくるとは思いませんが、有事では今の日本は対処できないと思います」と中国の脅威を挙げる。

 男子高校生の視点は「外国などに攻められたら」にある。安保関連法が成立し、「異国で紛争や戦争が発生したとき、自衛隊が迅速に支援できるようになったが、憲法が改正されればもっと自衛隊の活動の幅が広がります。日本が国際社会で生きるためには憲法改正が必要」と主張する。女子高校生は「9条を改正したら、私たちの生活はより戦争に近づいてしまう」。「自衛隊は国防軍となり」、「国防軍を維持するために徴兵制が敷かれるかも知れない」と危惧し、「国際的な信頼を確保し続けるためにも」「戦争反対の姿勢を取り続けるべきだと思います」と結ぶ。

 私はもちろん女子高校生の意見に賛成である。攻めてきたらどうするのかではなくて、どうしたら世界を平和にすることが出来るのか、そのために日本はどうするのかを考えて欲しいから。憲法論議はここが出発点だと私は思う。私も高校生の時、新聞に投稿し採用されたことがある。私が通った高校は進学校で、先生たちは「大学入試にこういう問題が出る」と授業する。私は学問をするために通っているのに、「入試、入試」ではまるで予備校ではないかと、普通高校の在り方に疑問を投げかけた。

 けれども現実は「今日は予備校があるから」と掃除当番をサボって帰る同級生に何も言えなかった。学校が行っていた早朝や夏休みの補習に出ないことが唯一の抵抗だった。アメリカの大学でトランプ支持の講演会を学生たちが暴力で中止させたが、高校生あるいは大学生の私なら同調しただろうが、今は「そんなことをしてどうなる」と思えてしまう。トランプ大統領が「言論の自由に敵対する行為」と言うがその指摘は正しい。やっぱり根源のところで議論することが出発だと思う。

 それにしても、現在の高校生は目先のことばかりに関心があるのかと思ったが、ちゃんと国の在り方を考えているようで嬉しかった。いや、「普通高校の予備校化」などよりレベルが高い。

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母親と一人っ子

2017年02月05日 13時32分27秒 | Weblog

 NHK名古屋制作の金曜日午後10時のドラマ『お母さん、娘をやめていいですか』は、母親役の斎藤由貴さんが凄いというか怖い。母と娘はこんなにもすさまじい関係なのかと思えてくる。一人っ子と母親は確かに一心同体のようなところがある。「いいわよ、あなたの好きなようにしなさい」と母親は言うけれど、心配でたまらないから監視してしまう。

 男の子でも女の子でも、一人っ子は母親が絶対的な存在だから、母親の機嫌を損ねたくなくて必要以上に母親の気持ちを考えてしまう。母親に嫌われたくない、母親が自分を愛してくれるように自分も母親を愛さなければ、そんな思いが一人っ子を支配している。たまたまNHK・Eテレの『ウワサの保護者会』でも子育ての難しさが取り上げていて、どこまでがしつけで、どこからが虐待かと、母親たちが話し合っていた。

 私は子どもが生まれた時、女の子でよかったと思った。男の子ならキャッチボールや釣りなど出来るが、思春期になってきた時にどう接したらよいのか分からない。男の子が自分のようになってしまったら、また悲劇を繰り返すのかと勝手に考えていた。男はいつか、社会でそれなりの位置に着かなくてはならないし、結婚すれば家族を養っていかなくてはならない。その重責を引き受けられる男に育てることが不安だった。

 幸いにも女の子ふたりで、私は「人に優しく、自分に厳しく」と言ってきたが、美しく優しい女性に育ってくれた。非の打ちどころがない訳ではないが、私の選挙を見に来ていた友だちは「娘さんを貸して欲しい」とまで褒めてくれた。子どもたちに嫌な思いをさせたことも数多くあったかも知れないが、それをいつの間にか乗り越え私よりも常識のある大人になってくれた。

 子どもが過度の負担になるような期待をしてはいけないと思っていたが、長女から「親から何も期待されないのは辛いことよ」と言われたことがある。枠に嵌めたくなくて自由にさせてきたつもりでも、「他の家が許しても、我が家はダメ」と言ってもきた。父親があるいは母親が、何を大切と考えているか、価値観や美意識を伝えておくのは親の務めと思って押し付けてきた。

 私たちには孫に当たる、子どもたちの子育てについては任せるしかない。3人の孫がどんな人生を歩むのか、見極めることは出来ないだろうが。

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バラ園に憧れる

2017年02月04日 17時43分52秒 | Weblog

 「立春」にふさわしく穏やかな一日だった。ルーフバルコニーで15本の鉢植えのバラを育てている。バラは暖かくなる前に剪定する必要がある。これは絶好の機会だと思い、バルコニーへ出た。風はなかったが空気は冷たい。剪定はいつも悩む。思いっきり切ってしまって大丈夫なのかとどうしても迷う。赤い芽が膨らんできているので、どんな風に育つのかを考えながら剪定する。

 植物は子育てよりは易しいだろう。手入れし、肥料を与え、ほどほどに世話をすれば必ずそれだけの見返りがある。それでもかまい過ぎると、根腐れを起こして枯れてしまう。「これだけの鉢があるのだから野菜を育てたら」と言ってくれる人もいるが、冬は風が強くて底冷えになるし夏は日差しが強すぎる。それに私の性格では野菜よりも花の方が向いている。子どもの頃、野菜を育てた経験がないことも気が向かない原因だろう。

 中学の時、我が家の裏にあった畑を父が借りてくれた。そこで私はここをバラ園にしようと思った。小学校へ通う道沿いにバラ園があった。外科の先生の庭で、バラがきれいだった。街を歩くとバラを育てている庭がいくつかあった。洋式の庭づくりが小さな街にも流行ってきていたのだ。私は畑を洋式の庭にしようと企てた。考えてみると、私は洋式への憧れが強い子どもだった。

 時々コメントをくれる「同人」さんが指摘するように、アンバランスを抱えて生きてきたようだ。子どもの頃はとにかく洋式への憧れが強く、読む本も日本のものよりも外国のものを選んでいた。古い日本を否定したかったのに、いつの頃からか日本庭園や日本の民芸品、三味線や祭り拍子が心地よく感じるようになっていた。キリストの言葉に共鳴しながら、仏教は日本で完成したと思うようになった。

 大人しいのに横着であったり、繊細なのに大胆であったり、思いやりがあるようで無かったり、表裏が時々入れ替わる。自分でも自分がよく分からない。悩み続けてもう72歳だ。完璧でなくてもいいじゃ―ないのと開き直るしかない。昨日は「豆まきだよ」って豆を食べ、イワシを焼いて酒の肴にし、北北西に向かって恵方巻を食べた。まあ、こんなものじゃーないのかな。

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常識が通用しない

2017年02月03日 18時26分58秒 | Weblog

 「困っている人がいたら、助けてあげなさい」と教えられた。中国の言葉「衣食住足りて礼節を知る」を父はよく口にしていた。食べるものが無くなれば、他人から盗もうとするが、衣食住が満たされている人は礼儀を身に付けると。キリストもまた、「分け与えなさい」と繰り返し教えた。人は助け合わなければ生きていけない。助け合うことで犯さなくてよい罪を防ぐことが出来る。

 アメリカは理想の国。ヨーロッパから「自由・平等・博愛」を求めて多くの人々が移り住んだ。地域の自治を認め、司法・行政・立法の3権を明確にし、議会を尊重した。けれども黒人が農業を支える奴隷社会だった。合衆国憲法が制定されて73年後にリンカーンが大統領となり、それから10年後の1870年に黒人の上院議員が初めて誕生した。この年はフランスで第3共和宣言が行われ、翌年にはパリ・コミューンが生まれている。

 ヨーロッパは急速に近代へと突き進んでいた。1818年生まれのカール・マルクスはアメリカの様子を伝え聞いて、「市民社会が最も完成した形態はアメリカにある。アメリカは利益だけで生きているアナーキーな国家」と評した。最も理想的な形態を備えた国家であったアメリカは、私的であるはずの利益が政治を動かしていると見えたのだろう。

 私が面白いなと思ったのは、トランプ大統領の「入国禁止」について、アメリカ国民の49%が賛成しているが、41%は反対と答えていることだ。トランプ大統領が誕生したくらいだから、「不法入国は許さない」と考える人が多いのは当然だろう。けれど、41%の人が「困っている人がいるのだから助けましょう」と考えている。これはまだ、アメリカの常識が健在と見ていいのではないかと思う。

 普通に考えれば、「困っている人がいたら助ける」のが常識だ。人は助け合って生きてきたのだから、これからも助け合うのが「善」である。「善」が通用しない社会は「悪」であろう。戦争反対は圧倒的な人々の願いなのに、どうして政治には反映されないのか。現実の政治と人々の願いが違うのはなぜなのだろう。答えはトランプに聞くべきか、マルクスに聞くべきなのか。

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結果と評価

2017年02月02日 17時25分31秒 | Weblog

 愛知県豊山町のグランドで年末に、『イチロー杯争奪少年野球大会』が開かれる。大会会長は郷土が生んだ野球選手、イチローである。イチローは毎年必ず帰国し、閉会式で挨拶する。今年はメジャーリーグで3千本安打を達成したので、「人の2倍、3倍練習する」と称えられたことを意識して、「みんな努力しているのに、2倍も3倍も練習することは不可能」と話した。

 「じゃー、大記録はどうして生まれたのか?」と野球少年は思っただろう。イチローは「自分の限界って分かるよね。限界を感じたら、もうちょっとだけやってみる」と話す。「人は評価を気にして生きている。評価が欲しいため、勉強もするし、努力もする。結果へとつなげるためにはそれしかない」と続ける。

 保育園の時から水泳を続けてきた大学生の孫娘も、「努力は結果につながる」を信じてやってきた。スポーツは努力なしには結果が出ないし、努力と結果はしっかりと結びついている。そこでイチローは「結果は努力の証で、評価は他人が下すもの。評価を気にしたり、追いかけるのではなく、自分が出来ることに集中する。それを重ねてきたことで、今の自分になれた」と結んだ。

 やっぱりいいことを言う。野球選手でなくても、世間体ばかり気にしていると本当にやりたいことが出来ない、そんなことになりそうだ。イチローは子どもの頃からプロ野球の選手になると決めていたが、なりたいものがある人は強い。これが本当に自分の天職なのかと迷ってばかりいる人もいるが、今いる場所で限界だなあーと感じたら、ほんの少し努力してみることなのかも知れない。

 何がよいのかは分からない。ソクラテスは「汝自身を知れ」と言ったけど、自分のことは分かっているようで分からないものだ。かえって、友だちの方が的確に分析してくれる。それでもどうなるかまでは友だちだって分からない。イチローが言うように、与えられた場所というか、就いた仕事に、集中して努力を重ねていくしかないのが人生のようだ。

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待ち続ける

2017年02月01日 17時24分34秒 | Weblog

 待ち続けていても良い知らせが来るとは限らない。人にはそれぞれ事情がある。自分がどんなに熱心に求めていても、そんな気持ちは届かない方が多いだろう。アメリカ大統領のトランプさんの政策について、「大統領に就任したならもう少し良識的になるだろう」と日本のマスコミは期待していた。しかし、トランプさんの当選を当てた評論家の木村太郎さんは「希望で判断してはダメだ」と言っていた。

 まさかこんな悪いことが起きるはずがないと思うので、「いや悪いのは今のうちで、きっとよくなるだろう」と考えてしまう。人はどうしても自分に都合の良い方を選んでしまう。アメリカではマスコミを信用している人は30%台しかいないそうだ。共和党の支持者では10%台しか信じていないとあった。日本での調査は知らないが、8割の人はマスコミ報道を信じているだろう。

 だから、トランプ大統領は「マスコミはウソばかり流す」とツイッターで非難する。すると、多くの支持者が「その通り」と賛意を表すという。日本もそうなってきていると思う。第1に、若者は新聞を購読しないし、テレビも好きなチャンネルしか見ない。情報はもっぱら、スマホを操作し、気に入ったものを捉える。つまり、見たいものしか見ないし、知りたいことしか知ろうとしない。この傾向はもっと大きくなるだろう。

 日本の政治家が「儲かっている会社の人は黙っているが、調子の悪い会社の人は『政治が悪い』と声高に言う。儲かっている人に声を上げてもらいたい」と言っていた。選挙でどういう人に投票するかと聞くと、多くの人が「景気を良くしてくれる人」と答える。そうなのだ。結局、人は自分の利益が第1なのだ。だから満たされている人は政治に無関心になる。昨日の男性のように、正義を基準に考える人は稀でしかない。

 でも、アメリカの人だったと思うけど、「おかしいなと思うことは、たった一人であっても言わなければ世の中は変わらない」と言っていた。ずーと、こんなことの繰り返しなのだろうけれど、「理想論」こそが大事なことだと思う。今は待ち続けるしかない。

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