経済が政治化している。冷戦時代は政治も経済も交流が乏しく、自由主義陣営は政治的に緊張しながらも自由経済を謳歌していたが、新・冷戦と言われる昨今は、経済そのものは緊密に交流している中で、政治的な対立があると往々にして経済が政治化(政治の道具化)する。そして国際経済に組み込まれているほど、その影響は大きくなる(逆に、国際経済に組み込まれていない北朝鮮では影響は限られるし、ロシアでは一部の権威主義国との対面取引で凌いでいるようだ)。
そもそも、経済を政治化する所謂エコノミック・ステイトクラフト(経済ツールを使って、相手国に何かを強制し、自国の安全保障の目的を実現すること、以下ES)を使うという意味では最近の米国が酷いと思われるかもしれないが、中国が先である。オバマ政権末期には、中国やロシアが多用し始めている経済外交、たとえば他国が自国の意向に反する政策をとった場合に見せしめとして輸入制限したり、一帯一路などで援助受入国を借金漬けにして自国の意向に沿わない政策を取り難くさせたりすることなどを、アメリカはESと定義し、これに対抗するES戦略を描くべきである、といった議論が安全保障専門家の間で高まった。2018年初めには戦略国際問題研究所(CSIS)が、米国は「中国の挑戦」に対抗するために、より洗練されたESを用いる必要があると提案したほか、他のシンクタンクも同様の具体案を構想し始めていた。
日本でも馴染みの例を挙げれば以下の通りとなる(いずれも主語は中国である);
・2010年、尖閣海域で海上保安庁の公船を妨害した中国の漁船・船長を日本が拘束したことに対し、レアアースの対日輸出を一時停止し、日本製品の不買運動が勃発
・2010年、中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることに決まると、ノルウェー産サーモンを禁輸
・他にも嫌がらせの輸入制限として、フィリピン産バナナ(2012年)、台湾産パイナップル(2021年)など
・2017年、韓国がTHAAD配備を決定したことに対し、中国人の韓国観光を制限、韓国製品の不買運動、中国内ロッテ・マートの営業停止命令
・2020年、オーストラリアが新型コロナウイルスの発生源調査を求めたことに対し、大麦・ワインへのアンチダンピング関税、綿利用自粛要請、牛肉検疫措置、石炭の通関遅延など
・2021年、リトアニアが首都に台湾事務所を開設したことに対し、外交関係を格下げ
・2023年、米国への対抗措置ではあるが、マイクロン(米)をインフラ調達から排除
・2023年、これも対抗措置と考えられるが、レアメタル(ガリウム、ゲルマニウム関連)やレアアース製造技術などの輸出規制
2010年代以降、日本人が気が付かないまま、米国では中国の防衛産業や情報・通信産業に対する警戒感が強まり、各種報告書が提出されて来た(古くは米国防総省報告書2011年、米中経済安全保障委員会報告書2011年、米下院情報特別委員会報告書2012年、FBIカウンターインテリジェンスレポート2015年など)。「新・冷戦宣言」とされるペンス副大統領の演説(2018年10月4日)の原型として、米中経済安全保障委員会報告書2015年、2016年などが挙げられる。さらに中国の技術覇権ひいては軍事覇権を求めるかのような「能力」構築としての「中国製造2025」(2015年)と、「意思」表示としての「国家情報法」(2017年)や各種「安全」(=安全保障)法制化が掛け合わさって、米国における対中脅威認識は決定的となり、「国家安全保障戦略」(2017年12月)と「国防戦略」(2018年1月)に結実した。翌2018年8月に、「国防権限法2019」として具体的に法制化され、トランプ政権下で緊張が高まったのは周知の通りだ。関税引上げなどの貿易戦争は、国際経済においても表面的な勝ち負けを気にするトランプ大統領(当時)の個人的な嗜好に過ぎない。本質は経済安全保障、すなわち経済の政治化だった。
もとより中国の技術力はもはや侮れない。既に数年も前に、米国の研究所に勤める知人は、AIに関する学会で中国人研究者が半数を占めると淡々と語っていた。しかし中国の発展は規模拡大と集中によるものでもある。例えば世界で引用回数の多い特許を有する研究所のトップを中国が占めるのは、在籍する研究者の数が一桁多いからだ。国家として破格の14億の人口を擁する中国は、国家資本主義的性格とも相俟って、日米欧とは比べ物にならないほど組織規模が大きい(米国の“グローバル”企業も日欧からすれば規模が大きいが)。それから、計画経済・指令経済のもとで、AIだろうがEVだろうが、号令をかければ人もカネも殺到するからだ。こうした圧倒的な量の経済は、必然的に質も高まって脅威となるが、一点集中または領域限定であって、国民経済のレベルで見たエコな産業発展からは遠いように見える。その意味で、欧米や日本のように成熟した自由主義経済は、長い時間をかけて積み重ねられた科学や技術と、(日本はややイビツながらも)市場原理によって人(技術者)やカネが流動し「神の見えざる手」に導かれる発展の秩序(弱肉強食とも言えるが、多様な競争社会の中で優勝劣敗し、敗者復活もあり、市場性がある限り残存者利得もあって、裾野が広い)があるところに、一日の長がある。そのため、中国にあっては足りない技術は模倣し窃盗する例が絶えない。
ある人に言わせると、現代の技術は大抵、「米国が革新し、中国が模倣し、欧州が規制する」構図になっているというが、言い得て妙だ(笑)。模倣する中国を米国は警戒し(脇が甘い日本は草刈り場になり)、規制する欧州を米・中は(それから日本も)警戒する。
例えば環境問題も、経済と重なるところで政治化している。欧州の急進的なEV化(排ガス規制)の動きは、ハイブリッド技術でどうしても追いつけないトヨタ潰しにしか見えない、中国と同様の産業政策の側面がある。それは恰もスキーのジャンプ競技で日本人が活躍し始めると、日本人に不利なようにスキー板やウェアの基準が変更され、世界の柔道はいわゆる柔の道ではなくてスポーツか格闘技のJUDOであって、欧州が勝てなくなるとルールが変わって行くようだと、日本人は疑心暗鬼に駆られる(笑)が、欧州は構わずに、環境問題の規制=ルールメーキングという、歴史的な価値を体現してきた自負のもとに(さんざん悪いこともやって来たが)、一見、(更生した)公正な優等生の立場と見せかけながら、その実、自らに有利なように国際ルールに影響を与えようとしている。他方、中国のEV化は得意の規模と集中投資で、荒っぽいながらも急転回で負の影響など歯牙にもかけない、権威主義国だからこそ可能な猪突猛進は脅威である。そして欧州は、そんな中国のEVをダンピング(政府補助金付き)の疑いで調査し始めた。
そもそも中国は2000年の歴史で常に政治が優位にあった。鄧小平以来、市場経済を取り入れたと言っても、所詮は国家資本主義という名の似て非なるものである。その経済規模が小さい内は大目に見てもらえるが、2008年のリーマン・ショックに襲われた世界経済を桁違いの投資で救済し、2010年に日本を超えて首位の米国経済に規模で迫りつつあると観念されると(具体的には米国経済の6割レベルを超えると、と言われる)、米国で、かつての日本叩きのような中国叩きが始まり、教科書的な自由主義経済だったはずの米国が、インフレ抑制法やCHIPS法のように、経済安全保障の名のもとに、なりふりかまわぬ産業政策を推進する。常にダントツでありたい米国の感情的とも言える過剰反応は困ったものだが、もとをただせば、政治が常に優位にあって異質の経済構造をもつ中国のせいである。
2023年は、中国経済が(かつてバランスシート不況で苦悩した日本のように)日本化する、などと形容された。それでも国家資本主義の中国は、負の影響など歯牙にもかけず、国内不況で有り余ったEVは欧州のみならず東南アジア市場にも流れ出した。中国の国内市場が変調を来すと、その他の市場で仁義なき戦いが起こる気配がある。2024年は、“節度”や“秩序”を保つことがない巨“龍”経済がのたうち回る動きを大いに警戒すべきだろう。