風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

8964または5月35日に寄せて

2024-06-08 01:39:36 | 時事放談

 天安門事件から35年が経った。月日が流れるのは早い。

 今なお中国当局は、犠牲者追悼などの動きを徹底阻止するために厳戒態勢を敷き、言論の自由を求める声が国際社会で高まると「内政干渉」だと強く反発し、NHK海外放送のニュース番組を数分間にわたって遮断して、カラーバーと信号異常を示す画面に切り替えた。無駄な抵抗じゃないかと、私なんぞはつい思ってしまうが、徹底した情報統制で、記憶の風化が進み、若い世代を中心に事件を知らない人が多くなっているというから、侮れない。

 日経の中沢克二さんは、「天安門事件35年」として「中国革命の故郷・東京に集結する志士」と、些か週刊誌的(!)な副題のコラムを寄稿された。1911年の辛亥革命に先立ち、1905年に東京で孫文ら革命の志士らが政治結社「中国同盟会」を結成した歴史を振り返りつつ、この6月3日に永田町・国会議員会館内の国際会議場で天安門事件の犠牲者を追悼する集会があったことを伝えている。在日中国人らで作る中国の民主化を求める団体や、アムネスティや、日本の国会議員ら160人ほどが参加し、天安門広場、香港中文大学に続き、第三の「民主の女神像」が登場したらしい。興味深い。

 しかし、言うほど生易しいものではないだろう。中国共産党は自らの統治を邪魔する勢力を排除するのに、反スパイ法をはじめとして、また、国防費並みに治安維持費をかけ続けて、文字通り「必死」である。当時と今とでは情報通信技術の発達で格段の差があり、手段として最大限活用して抑え込もうとしている。勿論、イタチごっこの様相ではある。

 最近、中国人富裕層の間に、苛烈な受験競争や、コロナで露わになった脆弱な医療インフラや、貧弱な社会保障と老後への不安や、財産保全への不安や、とりわけ最近は習近平思想教育を嫌気して、日本をはじめとする海外に脱出する動きが伝えられる。それが反体制運動にまで昇華するのかどうか予断を許さないが、私は、中国の歴史と、中国共産党統治は嫌悪しても中国人民一人ひとりの人間の力はなお信じて、見守っている。誰が見ても、中国共産党の統治には無理があり、持続可能とは思ないからだ。それがいつ成功するのか、当然、作用に対して反作用が働くので、明日のことか、三年後か、十年後になるのかは分からないが。

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政権人事を巡って

2024-05-18 09:32:55 | 時事放談

 今どき、政治のトップ一人だけで何でも出来るものではない。自由・民主主義的な体制では権力を集中させず、モンテスキューに代表されるように三権を分立させる工夫を重ねて来たことが知られるし、逆に中国やロシアが独裁者のなすがままで権威主義体制を強めているのは、それなりの経緯がある。

 習近平は、2012年の政権掌握以来、反腐敗闘争を仕掛けて、政界浄化を期しているかのように見せかけて、かねて不平不満を抱いてきた庶民のガスを抜こうとしているのだと実しやかに語られ、西側世界に仄かな期待を持たせたことがあったが、何のことはない、敵を粛清する権力闘争と変わらないことを疑う者はいなくなった。今や共産党独裁ではなく習近平独裁となり、イエスマンばかりで周囲を固めるばかりに、彼にnoと言える人がいなくて、意思決定において独裁政権に典型的な危うさを孕むまでになり、ユーラシアグループは昨年の十大リスクの二番目に「絶対権力者」習近平を挙げた。

 ロシアも、プーチンの出自から旧KGB出身者で周囲を固め、盤石の警察国家を作り上げたからこその権威主義体制である。ウクライナ侵攻当初に想定外が続出し、短期間で終わるはずの「特別軍事作戦」が、アフガニスタン侵攻を越えるほどの泥沼になりかねない情勢は、独裁者に特有の意思決定の脆さのあらわれだろう。

 かかる次第で、政権の人事には注目しないわけには行かない。

 台湾の次期総統が四月末に国家安全保障チームの人事を発表した。基本的に現政権からの残留組を充てることで、台湾の対中政策を大きく変えるものではないことを示唆し、バイデン政権を安心させたと言われる。立場上、アメリカの意向を受けないわけには行かないし、そもそもヨーロッパと中東で紛争が続き、これ以上、アメリカの力を分散させるわけには行かないことは、台湾にとってこそ重要であろう。

 さて、それでアメリカである。秋の大統領選の行方はなお混沌としているが、三権分立では議院内閣制より厳格とされるアメリカで、果たして行政のトップ一人で国の行方が変わるはずはないと思いたいし、実際に2017〜21年では何だかんだ言ってエリートが支えて、トランプ氏の思い通りにならなかったではないかと思いたいところだが、冷や水を浴びせる記事があった。「『トランプ2.0』欧州覚悟を」とのタイトルでFT紙エドワード・ルース氏が書いたコラムを日経が転載したものだ。トランプ氏はタイム誌の取材で次のように語ったそうだ。「今回の私の強みは多くの人物を知っていることだ。私は今や良い人も悪い人も、愚かな人も賢い人も知っている。最初に大統領に就いた時は殆ど誰も知らなかった」と。なるほど、前回、トランプ氏の暴走を抑えられたのは、そういうことだったのだろう。あの時以上に世界の分断が深まるご時世に、トランプ氏のような同盟軽視で予測不可能な人にリードして欲しくないと、以前、ブログに書いたが、類は友を呼ぶであろうトランプ2.0政権の人事を思うと、益々「もしトラ」は勘弁して欲しいとの思いを強くするのだった。

 

 

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もしトラを巡って

2024-03-24 09:33:05 | 時事放談

 今秋の米大統領選は、再びバイデン氏とトランプ氏の対決となり、「もしトラ」に備えよとの声が強まっている。高齢であることと不規則であることと、どちらかを選ばなければならないとは、かつて流行った「究極の選択」のようで、どちらも選びたくない市井の良識がよく分かる。これは他人事ではなく、カギを握るスウィング・ステートのご機嫌をとらんがために、日鉄のUSスチール買収が人質にとられる始末だし、アメリカ一強の西側にとって、ことは国際秩序に関わる。

 振り返れば、2016年の大統領選では、まさかトランプ氏が当選するとは誰も予想しなかったが、いざ大統領に当選するや、リベラル・メディアの目線が余りに厳しいことに、ひねくれ者の私は反発したくなった。不規則発言が多いことに不安を覚えながらも、目が離せないトランプ劇場を、リベラル・メディアへの当てつけのように楽しんだ。まだそれだけの余裕があったと言うべきだろう。米中関係では、やたら貿易赤字ばかり気にする(それを勝ち負けと捉える)偏執的なところに危うさを感じたが、周囲を固める人たちは、2017年末の国家安全保障戦略、翌年の国防権限法2019など、トランプ氏を宥めすかしながら、今に続く現実路線を着実に進めた。そこまでやるか⁈との驚きもないではなかったが、本来、行動変容を促すのが制裁の目的だとすれば、中国共産党の経済運営は度が過ぎたし、それを抑えられるだけの能力と意思を持ち得るのは、アメリカを措いて他になかった。実際には、国家の行動を変えさせるのは並大抵でなはいし、中国は対抗し得るだけの合法・違法の能力と意思を持っていて、一筋縄では行っていないのだが。

 コロナ禍のもとで行われた2020年の大統領選では、さすがにトランプ氏の不規則発言に閉口し、その後、ウクライナ戦争や中東危機を抱える今となっては、もはやトランプ劇場を楽しむ余裕はすっかり失せてしまった。懐に入り込んでモノ申せる故・安倍氏のような存在も見当たらない。在韓米軍撤退を、次期政権では真っ先に実行するとの条件で、前政権ではなんとか思いとどまったというエピソードを聞くと、極東にも火種が撒かれかねないと不安になる。他方、場合によっては、副大統領が大統領代行になるような事態も考えられなくはなく、そのときにハリス氏で大丈夫かとの不安が渦巻く。別に今どき個人が全てを牛耳るわけではないが、相手が権威主義国の場合、独裁者に対峙するのは国家元首という対立構図が避けられず、その言動が問題になる。そのリスクを負ってなお、アメリカ人の良識を信じないわけには行かない。

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宇宙へのロマン

2024-03-16 08:37:49 | 時事放談

 水曜の昼食時、食堂のTVニュースで、スペース・ワンの小型ロケット「カイロス」が発射される映像を見た。発射後わずか5秒で爆発したのは衝撃的だったが、何らかの異常を感知したロケット自らが爆破する飛行中断措置と聞いて、得心した。成功していれば、民間単独では国内初の人口衛星の軌道投入となるはずだった。

 宇宙への挑戦が続いている。

  JAXAの基幹ロケット「H3」初号機は昨年3月の打ち上げには失敗したが、2号機が今年2月に成功した。「H3」が数トン級を輸送するのに対し、今年度JAXAが投入する「イプシロンS」は数百キロ級、それ以下なら「カイロス」と、ラインナップが揃うことが期待されている。次は是非とも成功して欲しい。

 NASAやイーロン・マスクや中国のように資金が潤沢にあるわけではないが、日本らしい挑戦が続いている。

 小惑星探査機「はやぶさ」の旅はなんとも心細くも力強く壮大だった。小型月着陸実証機「スリム」もまた派手さはないものの、目標地点から半径100m以内を目指すピンポイント着陸に世界で初めて成功するという快挙を成し遂げ、如何にも日本的なきめ細かな技術力が際立った。柔道の受け身のようなと形容された着陸はエンジンの不具合でひっくり返ってしまい、狙い通りに太陽光を受けられなくなったが、マイナス170度まで下がるとされる二週間の夜を乗り越え、再びデータを受信し、探査機が最低限、機能していることが確認された。比較しても仕方ないのだが、インドの無人探査機「チャンドラヤーン3号」は夜明けを迎えてからは通信を確立出来なかったそうで、カタログ性能では測れない品質の高さを見せつけた(もっとも、科学観測向け特殊カメラは起動したが不具合があり観測出来ないまま、スリムは再び休眠に入った)。

 ロマンなどと呑気なことを言っていられないほど、宇宙探査にも軍事の色合いが濃くなる世知辛い世の中だが、日本は日本らしく飽くまでロマンを追いながら、能ある鷹のように爪を隠して、静かに強かに爪を磨いていて欲しい。

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近頃のロシア

2024-02-20 02:25:58 | 時事放談

 ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が刑務所内で死亡したと、インタファクス通信がロシア連邦刑執行庁の情報として報じた。まだ47歳という若さだった。

 これを受けてロシア全土で追悼行為の輪が広がっているらしい。それが、ナワリヌイ氏ゆかりの場所ではなく、KGB本部があった場所(=FSB本部の前)に設置されたソ連時代の政治弾圧の犠牲者を追悼するモニュメント「ソロベツキーの石」だったり、赤の広場のすぐ近くのアレクサンドル庭園にある無名戦士の墓だったりするから、当局もおいそれと手が出せないらしい。呼びかけがあれば当局に拘束されかねないが、自然発生的に人々が記念碑に集まっているらしい。

 ナワリヌイ氏は、弁護士であり政治活動家でもあって、2009年以降、プーチンやメドベージェフ政権を批判する活動で注目されて来た。昨年暮れに連絡が取れなくなったと騒がれたら、モスクワ郊外から北極圏の僻地の収容所に移送されたことが確認された。2020年にも、シベリアからモスクワに戻る機内で体調が急変し、ドイツの病院で治療を受けたところ、神経剤の一種ノビチョクによる毒を盛られたとされた。当時にしても今回にしても、都合が悪い人物を消すプーチン政権の手にかかったと考えるのが自然だろう。プーチン政権にしても習近平政権にしても、最近の権威主義体制の異形はとどまるところを知らない(もっとも、習近平のやることは、中国共産党の勝手ながらも法治の体裁をとっているという意味では一緒にして欲しくないと思っているかもしれない)。

 つい先週、日経にラトビアの外相(元首相)の論考が掲載された。ロシアは沸騰したヤカンのようなもので、外から内部に影響を及ぼすことは出来ない、ならば、周囲の防御を確実にするため、私たちはロシアを封じ込めていく必要がある、と。再び脅威として台頭し始めたロシアに対する苛立たしさを抑え切れない様子だ。横暴な大国と地続きの小国にとっては切実だろう。その根拠として二点。一つはファシスト哲学で、ラトビアの外相は、19世紀後半に生まれた哲学者イワン・イリインを挙げた(そう言えば本人の身代わりに娘を殺害されたアレクサンドル・ドゥーギンも同氏の『失われた純粋なロシア的精神』を称揚していた)。近年、ロシアでその著書が復活・再版されて、プーチンだけでなくロシアの戦略エリートの考え方に浸透しているらしい。その内容は、国家を偉大にするために、ロシアには隣国を征服する権利があるという、今どきなんとも大時代なものだ。もう一つは政治文化で、ロシアでは、妥協は対立を解決する美徳ではなく、弱さの表れと見做される、という。異民族(とりわけ中央アジアの遊牧民族)の侵略と支配を受けてきた歴史的なものを感じさせる。この点では中国にも共通するものがある。

 いろいろ考えさせられる。

 一つは、これだけ周囲の国々から厄介視され、それもあって、内に向けては偏執的なまでに反体制の策動に怯える独裁者の姿だ。権威主義体制の統治は盤石に見えて、正当性に関しては脆弱さと背中合わせだ(民主主義体制は何かと不安定でも国民の負託を受けているという一点で安定的であるのと対照的だ)。それはもう一つの、年齢にも関係するかもしれない。プーチン71歳(ロシア人男性の平均寿命68.2歳)、習近平70歳(中国人男性の平均寿命74.7歳)で、独裁者とは言え持ち時間は最大でも本人の寿命までであり、最近の誇大妄想的とも言える冒険主義や疑心暗鬼は年齢と無縁ではないだろうし、遠からず権力の移行があり、混乱があるかもしれない。ついでに、バイデン大統領81歳、トランプ元大統領77歳は、ともにアメリカ人男性の平均寿命76.3歳を超えており、さらに、クリントン元大統領77歳、ジョージ・W・ブッシュ元大統領77歳と、アメリカではここ30年間、オバマ元大統領62歳を除いて、1942~46年の間に生まれた方々が国家の顔となってきた。男性だからとか、女性だからと言ってはいけないように、年寄りだから悪いとは言わないが、あのアメリカにして余り健全だとは思えないが、余談だ。

 もう一つ、そうは言っても3月のロシア大統領選は無風の出来レースになってしまうということだ。そして私たちは年齢からくる予測不可能性に脅かされることになる。

 

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2023年回顧・野球の神様

2024-01-06 02:53:10 | 時事放談

 冴えない世相でも、日米のプロ野球界には神風が吹いているようだった(日本人にとって)。WBC優勝に始まり、メジャー本塁打王、二度目のMVP、10年総額7億ドルでドジャース移籍と、大谷翔平に明け暮れた一年に吹き続けたのは、野球の神様が吹かせた神風であろうか。

 MLB公式YouTubeチャンネルが2023年に投稿した動画の中で、断トツの再生回数を誇るのはWBC決勝の日本-米国戦だそうだ。今、見ても涙がちょちょ切れる私のような日本人が多いのだろうか(笑)。振り返ると、その日、オフィスで打合せから自席に戻って、何気なくYahooスポーツの一球速報を覗いた私は、戦慄した。ほんまに野球の神様がいると思った。9回裏2アウト、ランナーなしで、大谷とトラウトの一騎打ち。WBCで大谷の投球を受けた甲斐拓也が「独特ですし、回転もちょっと違いますしね。低いところから高いところに吹き上がって、曲がってくる。普通であれば下に落ちていくと思うんですけど、下に落ちない。吹き上がってくるっていうのが一番の特徴かなと思います」と言うスイーパーが決め球となった。思わずオフィスで静かにガッツ・ポーズ。宮崎での強化合宿中、栗山監督は「WBC決勝戦。最終回のマウンドには“ある投手”がいて、ガッツポーズしているイメージがあるんだよね」と語っていたそうだが、夢が、これ以上は考えられない状況設定のもとで現実となった。

 勝負そのもので痺れるシーンが多かったのはもとより、本番前の楽屋裏で侍ジャパンのメンバーに与えたインパクトも鮮烈だったようで、そのエピソードも印象深かった。中でも大谷翔平のフリーバッティングが話題で、推定160メートルの衝撃の飛距離に、「言葉が出ない。初めて感じたことがいろいろありました」(村上宗隆)、「噂は聞いていたんですけど目の当たりにするとビックリしましたね」(岡本和真)、「ぶったまげたっすね。一言で言ったら」「飛距離もすごいですし速度もすごかったので『ヤベー』としかみんな言っていないですよ」(万波中正)と感嘆の声を上げたのは、素人ではなく同じプロの選手たちだ。ブルペン捕手としてチームに帯同した鶴岡慎也氏が、大谷と他の選手の差を評して、「プロの1軍と2軍ほど違う」と言うよりも、「プロ野球選手と高校球児ほど違う」との表現の方が妥当だと言うほどだった。ファンサービスと言うより、日本の球界を代表するスターたちに文字通りに見せつけ、良い意味で刺激を与えたかったのだろう。日本人でもパワーをつければここまでできる、と。

 お陰で、日本プロ野球史上最年少三冠王の村上ですら、ショックから打撃不振に陥ってしまった。自分の前(3番)を打つ打者(大谷)があんな打球を飛ばし、自分の状態が上がらなくて、前の打者が申告敬遠されるような経験は衝撃だったろう。焦燥が募ったに違いない。5番に下がった準決勝メキシコ戦、1点ビハインドの9回裏に走者一・二塁の好機で打順が回って来たときには、この日3三振の村上に代えて牧原大成を代打に送る(犠牲バントで進塁させる)作戦も考えられたようだが、ぎりぎりのところで、「ムネに任せるわ」との栗山監督のメッセージを打席に向かう村上にわざわざ伝えさせ、迷いが吹っ切れた彼から劇的なセンターオーバーの逆転サヨナラ弾を引き出した。栗山監督の人心の機微を捉えた采配も見事だった。

 他方、日本プロ野球界の締め括りは、阪神-オリックスという、1964年の阪神-南海(現ソフトバンク)以来、59年ぶり2回目の「関西ダービー」となった。大学卒業まで20年間、大阪に住んでいながら巨人ファンだった私には縁が遠く、阪神が38年ぶり2回目の「あれ」を手にしても上の空。悔し紛れに、カーネルサンダースの呪いはとっくの昔(2009年3月10日に救出)に解けているのに…と毒づく始末だった(苦笑)。当日午後10時現在、道頓堀川に7人が飛び込んで、いずれもケガはなかったそうだ。めでたし、めでたし。

 悔し紛れついでに、我らが岡本和真のエピソードにも触れておきたい。WBCからの帰国直後、「行く前は僕が試合に出るもんだとは誰も思わなかったでしょうし、そういう部分で自分が最後フィールドに立てて優勝、世界一を味わえたっていうのもありがたいことですし、野球って楽しいなって」「同時にもっとすごい人たちを見たので、レベルアップしないといけないなと思ったり、自分自身がちっぽけに思えるのはいいことだと思って、もっと頑張ろうって思いました」と殊勝に語ったそうだ。村上と違って何と牧歌的な、ムーミンのような大らかさは伊達ではないだろう(笑)。大谷の移籍を知ったときには、「あんな金額、1人が稼ぐ数字じゃないでしょ。企業やん。社員が何万人かいる大企業でしょ。えぐい。ヤバい。ホンマの企業ですよ、1000億って…」「そんな人と一緒に野球やったんだなって。すごいでしょ? すごくないすか?」と岡本節をぶちかましている。やや天然気味に微妙に外してくれるところがカワイイ。

 その大谷のLAドジャースへの移籍は、ア・リーグ本塁打王と自身2度目のMVPを引っ提げていたとは言え、右肘じん帯を修復する手術を受けて治療中の身でありながら、総額7億ドル(1015億円=入団合意時の為替レート)という破格の待遇になることが驚きを以って報じられた。これに絡めて、投手ができない間も打席に立ち続けられる・・・これこそ(野球好きの彼の)二刀流たる所以だと、栗山氏は納得されたものだ。しかもその契約内容は、実に97%の6億8千万ドル(994億円=同)が後払いで、それでも来季から2033年までの10年間の年俸が2百万ドル(約2億9000万円=同)に達するのも話題になった。入団記者会見では自身が、「自分が今受け取れる金額を我慢して、ペイロール(年俸の支払い)に柔軟性を持たせられるのであれば、僕は全然後払いでいいというのが始まり」と解説している。そして、勝つことの優先順位を問われて、「野球選手としてあとどれくらいできるか、誰にもわからない。勝つことが僕にとって一番大事なこと」と答えた。この後払いが山本由伸のドジャース入りを呼び込んだと言えなくもない。来年こそ、ワールドシリーズのマウンドを期待したい。

 この年末に、こうした喧噪を総括するかのように、WBCの裏側を収めた映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録」がテレビ朝日系列で地上波初放送された。タイトルはもちろん、決勝の試合前に大谷が語った名言に因んでいる(下記に採録)。この映画のラストシーンとなった大谷の最後のセリフ「俺のグローブどこ?」の「俺のグローブ」がXでトレンド入りしたらしい。決勝戦の9回裏、トラウトをスイーパーで空振り三振に仕留めて世界一を決め、帽子とグラブを放り投げて感情を爆発させた、あの場面である。ファンから、「どこまでかわいいの」「思いっきり投げてましたよ」「急にかわいいキャラになるのなんなん」「この名言は来世まで伝えていきたい」など様々な反応があった中で、大谷が全国の小学校にグローブを寄贈すると発表したことから「全国の小学校に散りました」という投稿もあったそうだ。確かに、あのグローブは形を変えて、「野球しようぜ!」という大谷の思いを乗せて全国の小学生のもとに届けられたのだろう。野球の神様も満足気に微笑んで、暖かく見守っておられることだろう。

 「憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センター見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、野球やっていれば誰しもが聞いたことがあるような選手がいると思うんですけど、きょう一日だけは憧れてしまったら超えられないんで、僕らはきょう超えるためにトップになるために来たので、きょう一日だけは彼らへの憧れを捨てて勝つことだけ考えていきましょう。さぁ行こう!」

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2023年回顧・政治化する国際経済

2024-01-04 11:07:10 | 時事放談

 経済が政治化している。冷戦時代は政治も経済も交流が乏しく、自由主義陣営は政治的に緊張しながらも自由経済を謳歌していたが、新・冷戦と言われる昨今は、経済そのものは緊密に交流している中で、政治的な対立があると往々にして経済が政治化(政治の道具化)する。そして国際経済に組み込まれているほど、その影響は大きくなる(逆に、国際経済に組み込まれていない北朝鮮では影響は限られるし、ロシアでは一部の権威主義国との対面取引で凌いでいるようだ)。

 そもそも、経済を政治化する所謂エコノミック・ステイトクラフト(経済ツールを使って、相手国に何かを強制し、自国の安全保障の目的を実現すること、以下ES)を使うという意味では最近の米国が酷いと思われるかもしれないが、中国が先である。オバマ政権末期には、中国やロシアが多用し始めている経済外交、たとえば他国が自国の意向に反する政策をとった場合に見せしめとして輸入制限したり、一帯一路などで援助受入国を借金漬けにして自国の意向に沿わない政策を取り難くさせたりすることなどを、アメリカはESと定義し、これに対抗するES戦略を描くべきである、といった議論が安全保障専門家の間で高まった。2018年初めには戦略国際問題研究所(CSIS)が、米国は「中国の挑戦」に対抗するために、より洗練されたESを用いる必要があると提案したほか、他のシンクタンクも同様の具体案を構想し始めていた。

 日本でも馴染みの例を挙げれば以下の通りとなる(いずれも主語は中国である);

・2010年、尖閣海域で海上保安庁の公船を妨害した中国の漁船・船長を日本が拘束したことに対し、レアアースの対日輸出を一時停止し、日本製品の不買運動が勃発

・2010年、中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることに決まると、ノルウェー産サーモンを禁輸

・他にも嫌がらせの輸入制限として、フィリピン産バナナ(2012年)、台湾産パイナップル(2021年)など

・2017年、韓国がTHAAD配備を決定したことに対し、中国人の韓国観光を制限、韓国製品の不買運動、中国内ロッテ・マートの営業停止命令

・2020年、オーストラリアが新型コロナウイルスの発生源調査を求めたことに対し、大麦・ワインへのアンチダンピング関税、綿利用自粛要請、牛肉検疫措置、石炭の通関遅延など

・2021年、リトアニアが首都に台湾事務所を開設したことに対し、外交関係を格下げ

・2023年、米国への対抗措置ではあるが、マイクロン(米)をインフラ調達から排除

・2023年、これも対抗措置と考えられるが、レアメタル(ガリウム、ゲルマニウム関連)やレアアース製造技術などの輸出規制

 2010年代以降、日本人が気が付かないまま、米国では中国の防衛産業や情報・通信産業に対する警戒感が強まり、各種報告書が提出されて来た(古くは米国防総省報告書2011年、米中経済安全保障委員会報告書2011年、米下院情報特別委員会報告書2012年、FBIカウンターインテリジェンスレポート2015年など)。「新・冷戦宣言」とされるペンス副大統領の演説(2018年10月4日)の原型として、米中経済安全保障委員会報告書2015年、2016年などが挙げられる。さらに中国の技術覇権ひいては軍事覇権を求めるかのような「能力」構築としての「中国製造2025」(2015年)と、「意思」表示としての「国家情報法」(2017年)や各種「安全」(=安全保障)法制化が掛け合わさって、米国における対中脅威認識は決定的となり、「国家安全保障戦略」(2017年12月)と「国防戦略」(2018年1月)に結実した。翌2018年8月に、「国防権限法2019」として具体的に法制化され、トランプ政権下で緊張が高まったのは周知の通りだ。関税引上げなどの貿易戦争は、国際経済においても表面的な勝ち負けを気にするトランプ大統領(当時)の個人的な嗜好に過ぎない。本質は経済安全保障、すなわち経済の政治化だった。

 もとより中国の技術力はもはや侮れない。既に数年も前に、米国の研究所に勤める知人は、AIに関する学会で中国人研究者が半数を占めると淡々と語っていた。しかし中国の発展は規模拡大と集中によるものでもある。例えば世界で引用回数の多い特許を有する研究所のトップを中国が占めるのは、在籍する研究者の数が一桁多いからだ。国家として破格の14億の人口を擁する中国は、国家資本主義的性格とも相俟って、日米欧とは比べ物にならないほど組織規模が大きい(米国の“グローバル”企業も日欧からすれば規模が大きいが)。それから、計画経済・指令経済のもとで、AIだろうがEVだろうが、号令をかければ人もカネも殺到するからだ。こうした圧倒的な量の経済は、必然的に質も高まって脅威となるが、一点集中または領域限定であって、国民経済のレベルで見たエコな産業発展からは遠いように見える。その意味で、欧米や日本のように成熟した自由主義経済は、長い時間をかけて積み重ねられた科学や技術と、(日本はややイビツながらも)市場原理によって人(技術者)やカネが流動し「神の見えざる手」に導かれる発展の秩序(弱肉強食とも言えるが、多様な競争社会の中で優勝劣敗し、敗者復活もあり、市場性がある限り残存者利得もあって、裾野が広い)があるところに、一日の長がある。そのため、中国にあっては足りない技術は模倣し窃盗する例が絶えない。

 ある人に言わせると、現代の技術は大抵、「米国が革新し、中国が模倣し、欧州が規制する」構図になっているというが、言い得て妙だ(笑)。模倣する中国を米国は警戒し(脇が甘い日本は草刈り場になり)、規制する欧州を米・中は(それから日本も)警戒する。

 例えば環境問題も、経済と重なるところで政治化している。欧州の急進的なEV化(排ガス規制)の動きは、ハイブリッド技術でどうしても追いつけないトヨタ潰しにしか見えない、中国と同様の産業政策の側面がある。それは恰もスキーのジャンプ競技で日本人が活躍し始めると、日本人に不利なようにスキー板やウェアの基準が変更され、世界の柔道はいわゆる柔の道ではなくてスポーツか格闘技のJUDOであって、欧州が勝てなくなるとルールが変わって行くようだと、日本人は疑心暗鬼に駆られる(笑)が、欧州は構わずに、環境問題の規制=ルールメーキングという、歴史的な価値を体現してきた自負のもとに(さんざん悪いこともやって来たが)、一見、(更生した)公正な優等生の立場と見せかけながら、その実、自らに有利なように国際ルールに影響を与えようとしている。他方、中国のEV化は得意の規模と集中投資で、荒っぽいながらも急転回で負の影響など歯牙にもかけない、権威主義国だからこそ可能な猪突猛進は脅威である。そして欧州は、そんな中国のEVをダンピング(政府補助金付き)の疑いで調査し始めた。

 そもそも中国は2000年の歴史で常に政治が優位にあった。鄧小平以来、市場経済を取り入れたと言っても、所詮は国家資本主義という名の似て非なるものである。その経済規模が小さい内は大目に見てもらえるが、2008年のリーマン・ショックに襲われた世界経済を桁違いの投資で救済し、2010年に日本を超えて首位の米国経済に規模で迫りつつあると観念されると(具体的には米国経済の6割レベルを超えると、と言われる)、米国で、かつての日本叩きのような中国叩きが始まり、教科書的な自由主義経済だったはずの米国が、インフレ抑制法やCHIPS法のように、経済安全保障の名のもとに、なりふりかまわぬ産業政策を推進する。常にダントツでありたい米国の感情的とも言える過剰反応は困ったものだが、もとをただせば、政治が常に優位にあって異質の経済構造をもつ中国のせいである。

 2023年は、中国経済が(かつてバランスシート不況で苦悩した日本のように)日本化する、などと形容された。それでも国家資本主義の中国は、負の影響など歯牙にもかけず、国内不況で有り余ったEVは欧州のみならず東南アジア市場にも流れ出した。中国の国内市場が変調を来すと、その他の市場で仁義なき戦いが起こる気配がある。2024年は、“節度”や“秩序”を保つことがない巨“龍”経済がのたうち回る動きを大いに警戒すべきだろう。

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2023年・劣化する日本政治

2023-12-30 21:34:25 | 時事放談

 制度や体制なるものは、精神が抜け落ちると形骸化して変調を来すものだ。典型例は大日本帝国憲法であろう。創設した元老たちがいなくなるや、言葉尻をとらえて政治利用する輩が現れた。この一年を振り返って、というよりも岸田政権になってからの日本の政治を見ていると、影響の大小はあるにしても、その思いを強くする。それは言うまでもなく、2006年に戦後最年少で初の戦後生まれの首相として組閣し、間をおいて、2012年からの7年8ヶ月間を含めると史上最長の在職日数を誇った元・安倍首相との比較を通しての感慨である。

 故・安倍氏の政治を私が評価するのは、端的に、彼に政治家の本懐とも言うべきものがあったからだ。その核心たる政治理念を保守的と断じるリベラル派からは何かと反撥を受け、さらには歴史修正主義者と誤解したアメリカからも批判を受けるに至ると、本音を隠すようになり、その後はイメージばかりが先行する、奇妙な政争となった。リベラル派には甚だ悪名高い安保法制など外交・安全保障分野では保守的で保守派の支持を受ける一方、経済団体への賃上げ要請など経済的にはリベラルな政策を採ることで野党に付け入る隙を与えず、選挙に勝っては難しい政策を実現し、再び選挙に勝っては世論の支持を受けたとして野党の批判を封じ、まがりなりにも政治を前に進めて来た。他方で、その政治手法には批判が多く、官邸主導で忖度する側近・官僚や反発する(そのために嫌がらせのように情報をリークする)官僚に攪乱され、しかも生来の脇の甘さも手伝って、モリ・カケ・サクラなど、長期政権の驕りとも見える場面も目立ったが(なお悪いことに、真相は藪の中にあることだ)、それでもなお私が評価するのは、そこに彼の生の声が聞こえ、さらに根底には変わらぬ政治理念があったからだ。言い換えると、政治家としての故・安倍氏への信頼である。

 しかし岸田首相の発言は紋切り型で、彼の肉声は聞こえて来ない。更には政治理念が(私にだけかもしれないが)見えて来ない。単に安倍政権が敷いた路線を進めているだけ、あるいは新しい資本主義や異次元の少子化対策など、表面的な装いの掛け声で新しさをアピールしているだけに見える。

 悪いことに、選挙をテコにした政治は、政治理念が抜け落ちると、ただの選挙対策の政治に堕して停滞し、ポピュリズムが蔓延る。もっぱら政策より政局で政権に揺さぶりをかけるだけの野党との間で、泥仕合が繰り広げられる仕儀となる。政治理念が絡まないので、いまひとつ盛り上がらない。冒頭に触れた、形骸化である。

 先ごろ、自民党税調の税制大綱が発表されたが、防衛増税など、痛みを伴うような負担増の議論は避けた。自民党の宮沢洋一・税調会長は、「増税はそれなりに政権の力が必要だ。今の政治状況は自民党に厳しい風が吹いている」と述べたそうだ(12月15日 日経)。故・安倍氏だからこそ乗り切れた政局は、岸田氏のもとで混迷を深めるばかりである。そして、パーティー券問題が露呈した。またしてもカネであり、呆れてしまう。

 来年、世界では70以上の国で選挙が予定されている。中でも、1月の台湾総統選を皮切りに、3月のロシア大統領選は出来レースにしても、4~5月にインド総選挙があり、11月にアメリカ大統領選が控える。国際社会で故・安倍氏が(珍しくも)引き上げた日本の存在感は引き継がれることなく、国際社会の混迷も深まるのだろうか。

 コロナ禍で控えめだった活動に制約がなくなって通常運転に戻ると、やっぱり冴えない政治が馬脚を現し、漠然とした不安にとらわれる、なんともやるせない年の瀬である。

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キッシンジャーの異彩

2023-12-16 10:48:11 | 時事放談

 かれこれ二週間以上が経ってしまったが、ヘンリー・キッシンジャー氏が亡くなった。享年100の大往生だった。

 保守派でありながら共産主義・中国に接近するという、イデオロギーに囚われない現実主義で、バランス・オブ・パワーという伝統的な国際政治の理論を冷徹に実践し、1970年代のアメリカ外交を牽引して、既に私の学生時代には伝説の人となっていた。

 あれから40年、トランプ氏が大統領になったときにキッシンジャー氏に会ったというニュースを見て、まだ生きていたのか(物理的に、ではなく、政治的に)と驚いたものだった。アメリカが中国に対して厳しい政策対応をしたのはトランプ政権からだが、既にオバマ政権後半から、中国に対して厳しい見方をしていた。そんな中で、キッシンジャー氏は何を思い、何を提言していたのだろうか。

 結局、アメリカは、キッシンジャー氏に始まる、30年以上にわたる積極的な関与政策により、中国を国際社会の一員にする手引きをしながら、大国になった中国を国際社会の責任あるステークホルダーに育てることに失敗した。いや、今の大国意識に目覚めた中国の振舞いを見る限り、アメリカが失敗したのは結果論でしかなく、アメリカは大いなる挫折を味わっているかもしれない。騙された、とまでは言うまい。それだけに、今のアメリカの強硬な対中政策は本質的であり根深いものがありそうだ。氏自身は、2015年に次のように語っている。

「中国の挑戦はソ連よりも微妙な問題を含む。ソ連問題は戦略的なものだった。中国の挑戦はより文化的なものだ。果たして、同じように思考することのできない二つの文明は、世界秩序において共存という解を見出すことが出来るのだろうか」

 それでも、著書『キッシンジャー回想録 中国』(2011年)で、「中国と米国の関係はゼロサムゲームになる必要はなく、なるべきでもない」と記し、その後、米中関係が悪化してもこの見解を変えなかったと言われる。2019年のニューエコノミーフォーラムでは次のように語っている。

「米中は世界の最大の二つの経済体であり、お互いが『足をひっぱりあう』のは正常だ」

「両国に必要なのは対話であって、対抗ではない」

「米中両国関係は、双方の共同利益のために対立点を正確に見て、対話と協力を強化し、ネガティブな影響を低く抑える努力をしなくてはならない。もし米中が非常に敵対すれば、想像のつかない結果をもたらす」

 他方、井戸を掘った人のこと(=恩義)を忘れないと言われる中国人は、キッシンジャー氏をそのように遇した。実際に氏の訪中は100回に及んだそうだ。尋常ではない。中国は仲介者としての彼に何を頼り、時に何に利用したのだろうか。晩年の氏は中国宥和論者だと批判的に見られがちだが、かつて毎年のように中国共産党幹部の訪問を受けていたシンガポール元首相リー・クアンユー氏同様、中国政治のウラを知る識者として、もう少し話を聞きたかった。

 ニクソン元大統領ともども、毀誉褒貶が激しいキッシンジャー氏だが、私のような世の多くの(と、一応、言っておく 笑)常人には現実主義に徹することを理解するのが難しいからだろう。

 一般に政治信条の座標軸の中で、常人は保守とリベラルの間のどこかに位置づけられる。その色眼鏡で相手に同調し、反発もする。その色眼鏡を外すのが難しいのは、こうした保守やリベラルの政治信条は、案外、人の世界観や人生観と深く結びついているからだと思う。例えば、変化を望むか安定を望むか。人は、また世の中は、変われるものだと信じることが出来るか、そうそう変われるものではないと諦めるか(良い意味での諦観である)。変われないと思うのは虚しく、何がしか変わろうと努力し、それでも急には変われないのが常人であり世の中であろう。それを信じる度合いの違いに応じて、保守とリベラルの間の位置づけが変わるように思う。こうして保守は現実主義に近いし、リベラルは理想主義に近いと言い換えることが出来る。ところが、かつて、ジョン・ミアシャイマー氏は、東京での講演で、現実主義はイデオロギーを気にしないと明言されていた。政治信条としての現実主義は、保守でもリベラルでもないそうである。現にキッシンジャー氏は、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として共和党のニクソン政権を支えただけでなく、その前の民主党のケネディ大統領の顧問としても外交政策立案に一時的に関与していた。その超越したところに、どうしても分かりにくさが漂う。

 1982年に設立したコンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエイツ」は、財務上の数字を報告することも、顧客名簿について語ることもないそうだ。だからと言って、企業幹部を中国の指導者に引き合わせても、ビジネス上の議論は企業幹部に任せ、便宜を求めることはしなかったそうだ・・・とは、どこまで信じられる話か分かったものではなく、中国共産党と波長が合ったであろう彼の隠密な交渉スタイルそのままに、霧に包まれたままだ。

 これまでブックオフで時間をかけて買い揃えた『回復された世界平和』、『外交(上)/(下)』、『キッシンジャー回想録 中国(上)/(下)』は、唯一、新刊で購入した『国際秩序』とともに、手放せない。老後の愉しみにしているが、もう一度、紐解いてみようかとも思う。そして、「キッシンジャーから懇情され、一旦断わったものの、膨大な私信・資料を見せられてファーガソンが引き受けたキッシンジャー公認の評伝。ファーガソンが10年がかりで完成させた大作」(アマゾンより)とされるニーアル・ファーガソン著『キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1/2』もブックオフでの購入予定リストにある。良くも悪くも、私たちが生きる時代の世界の道筋をつけてきたとも言える彼の存在には、興味が尽きない。

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カナダにいた周庭さん

2023-12-10 00:23:10 | 時事放談

 香港の民主活動家の周庭さんが、カナダに滞在していることが分かった。インスタグラムへの投稿で、「おそらく一生、香港に戻ることはない。ようやく逮捕を恐れる必要なく、言いたいことを語り、やりたいことを実行できる」と記したそうだ。

 振返れば三年半前、コロナ禍のどさくさに紛れて、あれよという間に香港国家安全維持法(国安法)が成立し、50年間、高度な自治を担保するはずだった一国二制度の約束が、道半ばにしてあっさり骨抜きにされたのだった。EUは既にその一年前の2019年3月に、戦略的パートナーだった中国をsystemic rivalと再定義して対中国通商戦略の見直しを図っていたが、それでも強硬路線に転じたトランプ政権に比べれば宥和的で、かつて宗主国だったイギリスは当時、すっかり立場が逆転した中国に対して口頭で批判を強めるばかりで、実力行使に訴えることはなかった。その微温的な対応を言い訳にしたくないが、日本政府も私たち日本人も無力だった。しかし、香港の民主化運動が投じた一石は、決して小さいものではなかった。その後、新彊ウイグルでの民族浄化の実態が明らかにされたことと相俟って、西欧諸国では明らかに風向きが変わった。地理的に離れた中国は、西欧諸国にとって安全保障上の脅威よりも経済的パートナーとして重要であることが、私たち日本人にはもどかしかったが、ようやく同じ方向を見ることが出来るようになった。周庭さんたちは、身体を張って風向きを変えたのである。

 周庭さんは、国安法違反容疑で2020年8月に逮捕され、12月に無許可集会扇動罪などで禁錮10月の実刑判決を受けて服役し、翌2021年6月に出所した直後にインスタグラムを更新して以来、情報発信が途絶えていた。今に至るも香港警察国家安全処にパスポートを没収されたまま、返還の条件として、中国への愛国心を証明する行動を強要されていたことが、此度の声明で明らかになった。「民主化運動参加への反省文を提出させられたほか、8月には国安処職員5人に付き添われて中国本土を訪問。改革開放政策の成果を示す展示や、広東省深圳にあるIT大手の本社などを見学させられた。展示と共に自身の写真を撮影するようにも言われた」(毎日新聞)という。まるで文革時代を思わせるような古色蒼然とした仕打ちである。周庭さんは、「私が黙ったままなら、(訪中時の写真なども)いつか私の『愛国』の証拠になったかもしれない」と述べたという。

 中国外務省は敏感に反応し、香港の警察当局が「あからさまに法律に違反する行動を強く非難する」と声明を出したことを改めて強調するとともに、「いかなる人も法律外の特権を持たず、いかなる違法犯罪行為も必ず法律の裁きを受ける」と述べて、中国の法治なるものの異様さを際立たせた。

 こうした一連の香港での騒動を世界で最も真剣に受け止めているのは、台湾だろう。もとはと言えば一国二制度は台湾に向けて提案されたものだった。

 周庭さんが二年半ぶりに情報発信したのは、ようやくこの9月に「再度の逮捕のおそれなどから心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されるほど」(同)だった香港を離れ、留学目的でカナダに入り、三ヶ月毎に当局に出頭することを求められていたのを拒絶するタイミングだったのは、偶然にしても絶妙で、一ヶ月後に迫った台湾総統選に与える影響は小さくないだろう。

 私が敬愛する故・高坂正堯氏は、安全保障の目標とは、日本人を日本人たらしめ、日本を日本たらしめている諸制度、諸慣習、そして常識の体系を守ることだ、と喝破された。今日の香港は明日の台湾だと言われたものだが、今やAIを使えば偽情報を流布させ世論に影響を与える工作はいとも簡単に実行することができ、日本も他人事ではない。今度こそ、私たち日本人は周庭さんの声に応えることができるだろうか。

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