「聖徳太子はいなかった」(谷沢永一著、新潮新書)という本を読んでいます。一般に天武天皇以後の歴史は明白だと言われます。その天武天皇に即位した大海人皇子は、壬申の乱において、皇位継承者と目されていた天智天皇の子・大友皇子を武力で打倒し、皇位を簒奪したのはご存知の通りですし、国史「日本書紀」を編纂させたことでも知られますが、そこで、自らの正統性を示すため、唐の太宗に倣い、神聖万能の皇太子像を創作した、それが聖徳太子だと言うわけです。凡そ中国にせよ中世以前の日本にせよ、国史は政治的なもの、創られるものであり、聖徳太子神話には今更驚くまでもないのかも知れません。なにしろ、つい最近まで、私たちの周囲には「神話」がまかり通っていたからです。
その「神話」の一つは、明治以降の薩長史観であり、また戦後のGHQ史観や左翼史観もそうで、私たちは日本人としてのアイデンティティをすっかり見失ってしまいました。
薩長史観が怪しいことは、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」などが、江戸や明治という時代、更には日露戦争の位置づけに見直しを迫ったことからも明らかで、共有されつつあります。またGHQに関しては、例えば1995年から公開されているCIAの前身OSSのヴェノナ文書によると、GHQが進めた対日占領政策は、皇室を弱体化させることによって(宮家は直宮、すなわち昭和天皇の弟以外は廃絶されたことによって皇位継承問題が現実化しましたし、皇室財産も国に召し上げられました)日本人の精神性そのものを骨抜きにし、日本を徹底的に懲罰することを狙っていたことが明らかになっています。またGHQは社会主義思想家の巣窟であり、いわば占領政策は社会主義思想の実験だと言われるほどですし、ルーズベルト政権の財務次官で、ハル・ノート起草者でもあったハリー・ホワイトは旧ソ連のスパイだったことも明らかになり、衝撃を与えました。日本でも、例えば昭和10年代の近衛新体制を支えた官僚の中にはコミンテルンと関わりをもつ者が少なくなかったと言われますし、ブレア政権以後のイギリスが公開し始めた情報資料から、旧連合軍による対日工作や諜報活動の実態が少しずつ分かり始めています。更にエリツィン時代のソ連で公開された資料を米英の学者がコピーして持ち帰っていますし、アメリカではレーガン政権の頃まで、スーパーコンピューターを使って第二次大戦期のソ連暗号の解読作業を続けており、新たな研究成果が期待されています。勿論、一部のスパイや社会主義者だけで歴史の奔流を変えることなど出来ないでしょうし、個が出来ることは高が知れていますが、ある閾値を越えた時には、歴史のちょっとした流れ(支流)が大きな流れ(本流)を変えることがあったかも知れませんし、そうしたスパイの暗躍は昔から知られるところです。いずれにせよ戦前史は、ようやく悪しき経験だったという(思い込みの)神話の時代を過ぎて、より客観的な研究対象になりつつあるようです。
戦後、日本が平和であり得たのは平和憲法のお陰だという平和憲法「神話」も怪しい。実際には日米同盟を機軸にするアメリカの存在感が複雑で地政学的に難しい極東を安定させたと言うべきです。また経済に集中し得た軽武装国だからこそ、高度経済成長を実現し得たという成長「神話」も怪しい。多大の軍事負担を続ける中国ですら、経済成長を続けていますから、軍事と経済は両立し得ますし、実際には、戦後の生産革新や技術革新による未曾有の工業経済の成長の波に乗ったと言った方が正確ですし、そこで産業を牽引した技術の中には、戦時中に開発されたものが少なくありませんでした。
ごく最近では、小泉改革が日本の社会の格差を拡大したという「神話」も、怪しい。そもそも新自由主義は小泉さんの専売特許ではありません。小泉政権時代の「小さな政府」路線は、既に1980年代初頭に設置された臨時行政調査会(所謂第二臨調)や臨時行政改革推進審議会で、レールが引かれており、そこでの答申の精神が、鈴木善幸内閣や中曽根康弘内閣から小泉内閣に至る代々の自民党政権に脈脈と受け継がれて来たのです。そもそも国鉄は民営化できて、郵政は民営化できない理屈が理解できません。官邸機能を強化し、官僚支配から脱却しようとするのも、当時から着々と進められてきたもので、民主党に始まるものではありません。
私たちは実に「神話」が多い時代を今なお生きているものです。そこには、前回の「迷信」と同じで、誘導したがるある悪意が存在し、信じたがる別の善意が存在するのだと言わざるをえません。今、日本の社会を覆う閉塞感から脱却するには、こうした迷妄を振り切る必要があると思うのですが・・・
その「神話」の一つは、明治以降の薩長史観であり、また戦後のGHQ史観や左翼史観もそうで、私たちは日本人としてのアイデンティティをすっかり見失ってしまいました。
薩長史観が怪しいことは、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」などが、江戸や明治という時代、更には日露戦争の位置づけに見直しを迫ったことからも明らかで、共有されつつあります。またGHQに関しては、例えば1995年から公開されているCIAの前身OSSのヴェノナ文書によると、GHQが進めた対日占領政策は、皇室を弱体化させることによって(宮家は直宮、すなわち昭和天皇の弟以外は廃絶されたことによって皇位継承問題が現実化しましたし、皇室財産も国に召し上げられました)日本人の精神性そのものを骨抜きにし、日本を徹底的に懲罰することを狙っていたことが明らかになっています。またGHQは社会主義思想家の巣窟であり、いわば占領政策は社会主義思想の実験だと言われるほどですし、ルーズベルト政権の財務次官で、ハル・ノート起草者でもあったハリー・ホワイトは旧ソ連のスパイだったことも明らかになり、衝撃を与えました。日本でも、例えば昭和10年代の近衛新体制を支えた官僚の中にはコミンテルンと関わりをもつ者が少なくなかったと言われますし、ブレア政権以後のイギリスが公開し始めた情報資料から、旧連合軍による対日工作や諜報活動の実態が少しずつ分かり始めています。更にエリツィン時代のソ連で公開された資料を米英の学者がコピーして持ち帰っていますし、アメリカではレーガン政権の頃まで、スーパーコンピューターを使って第二次大戦期のソ連暗号の解読作業を続けており、新たな研究成果が期待されています。勿論、一部のスパイや社会主義者だけで歴史の奔流を変えることなど出来ないでしょうし、個が出来ることは高が知れていますが、ある閾値を越えた時には、歴史のちょっとした流れ(支流)が大きな流れ(本流)を変えることがあったかも知れませんし、そうしたスパイの暗躍は昔から知られるところです。いずれにせよ戦前史は、ようやく悪しき経験だったという(思い込みの)神話の時代を過ぎて、より客観的な研究対象になりつつあるようです。
戦後、日本が平和であり得たのは平和憲法のお陰だという平和憲法「神話」も怪しい。実際には日米同盟を機軸にするアメリカの存在感が複雑で地政学的に難しい極東を安定させたと言うべきです。また経済に集中し得た軽武装国だからこそ、高度経済成長を実現し得たという成長「神話」も怪しい。多大の軍事負担を続ける中国ですら、経済成長を続けていますから、軍事と経済は両立し得ますし、実際には、戦後の生産革新や技術革新による未曾有の工業経済の成長の波に乗ったと言った方が正確ですし、そこで産業を牽引した技術の中には、戦時中に開発されたものが少なくありませんでした。
ごく最近では、小泉改革が日本の社会の格差を拡大したという「神話」も、怪しい。そもそも新自由主義は小泉さんの専売特許ではありません。小泉政権時代の「小さな政府」路線は、既に1980年代初頭に設置された臨時行政調査会(所謂第二臨調)や臨時行政改革推進審議会で、レールが引かれており、そこでの答申の精神が、鈴木善幸内閣や中曽根康弘内閣から小泉内閣に至る代々の自民党政権に脈脈と受け継がれて来たのです。そもそも国鉄は民営化できて、郵政は民営化できない理屈が理解できません。官邸機能を強化し、官僚支配から脱却しようとするのも、当時から着々と進められてきたもので、民主党に始まるものではありません。
私たちは実に「神話」が多い時代を今なお生きているものです。そこには、前回の「迷信」と同じで、誘導したがるある悪意が存在し、信じたがる別の善意が存在するのだと言わざるをえません。今、日本の社会を覆う閉塞感から脱却するには、こうした迷妄を振り切る必要があると思うのですが・・・