風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

職人芸

2010-01-20 01:10:17 | 日々の生活
 一昨日で、阪神大震災発生から丸15年が経ちました。あの時、私は雪深いボストンにいて、CNNで大地震の模様を知りました。当時、大阪に住んでいた両親に電話したら、埼玉に嫁いでいた姉とはまだ連絡が取れていないとの由、国内通話は制限されていたのかも知れません。勿論、大阪と言っても京都寄りの立地なので、本棚の本が崩れた程度で済みました。しかし、この週末の特集番組によると、震災後の復興はまだ終わっておらず、15年経った今も商店街の活気は戻っていないようでした。
 それでもあの大震災からは多くの教訓が得られたことでしょう。そのうちの一つに、文化財の免震対策があります。その補修工事を幅広く手掛けている建築士が語っていた言葉、建物は揺れなければならない、そしてしなやかに変形することによってエネルギーを逃がし、壊れない構造にすることがポイントだという話が印象的でした。宮大工も、カチッとしたものを造るな、“逃げ”を作れ、と言います。地震大国・日本における木造建築ならではの知恵なのでしょう。
 そのとき、五重塔が話題にのぼりました。五重塔や三重塔などの木塔と言われるものは全国に500ヶ所以上あり、それらは兵火、雷火、放火、失火等によって焼失したり建て替えをを繰り返しているので、実際にはその何倍も存在したはずですが、地震で倒壊した例は記録されていないそうです。慶長大地震では、秀吉の伏見城は崩壊しましたが、平安時代建築の醍醐寺五重塔は無事でしたし、関東大震災では、円覚寺は倒壊しましたが、池上本門寺や中山法華教寺の五重塔はやはり無傷でした。そして阪神大震災でも、兵庫県下の三重塔15基の内、江戸以前に建立された5基も含めて、ほとんど損傷はなかったのですが、コンクリート製の三重の塔だけはヒビが入ったと報告されています。
 五重塔には、いくつかの工夫が施されています。一つは、単位面積当たりの木材の使用量が多く、地震力への抵抗力が大きいこと、二つ目は塔内の無数にある木の接合部がカッチリ組み上げられていなくて摩擦と滑りが地震エネルギーを吸収していること、三つ目は何より真ん中に通し柱としての心柱(“しんばしら”と読みます)が礎石の上に立てられているのですが、通し柱とは違って地上に固定されているわけではなく、いわば上から吊された形の心柱が地震時に振り子作用をして、塔が揺れるのを和らげていることです。更に驚くべきは、五重塔の塔身は、いわば鉛筆のキャップを順々に重ねるように、各層(各重)ごとに独立して軸部・組み物・軒を組み上げ、相互に緊結されていない柔構造になっているため、地震の時に、初重が右に傾けば二重は左に傾き、三重は右に傾くといった具合いに、さながらスネーク・ダンスのように互い違いに波を打って、結果として頭頂部が大きく揺れることはなく、倒れる力よりも元に戻ろうとする復元力の方が大きいため、地震に強いということです。
 こうした五重塔の耐震性は、東京の新タワー、東京スカイツリーにも生かされているそうです。「心柱」と呼ぶ鉄筋コンクリート製の中心軸と、心柱を取り巻く編み籠状の鉄骨による塔体が独立し、その間はダンパーという伸び縮みするバネで繋がれ、揺れ方の違うこれら二つが別々に揺れると、お互いに揺れを抑え合う仕組みになっているそうです。
 かつて宮大工の西岡常一さんが言われた言葉を思い出します。「大工の言う通りにすれば、それでええんや。飛鳥建築でも、白鳳建築でも、天平の建築でも、学者がしたのとは違う。みんな大工が、達人がしたんや。我々は達人ではないけれども、達人の伝統を踏まえてやってるんやから、間違いないんや。いらん知恵出してヘンなことしたら、却ってヒノキの命を弱めるんやから、やめてくれなはれ。」中国や朝鮮半島から伝わった建築技術は、本国では衰退しても、日本ではしぶとく行き抜いて、将来の日本さえも左右しかねない職人芸として、脈々と受け継がれています。大いに誇るべき技術です。
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