昨晩23時32分、3・11以来で最大の余震が宮城県沖で発生しました。天災を忘れていたはずはなく、ただ余震が減って落ち着きを取り戻しつつあると、ふっと気を抜いた矢先で、今なお余震や津波や原発の放射線漏れリスクから逃れられないことをあらためて思い知らされました。
そんな中でも季節は巡り、昨日から今日にかけて、首都圏で桜が満開となりました。淡い桜の花の色の可憐さ、咲き誇る華麗さ、散り際の潔さ、それぞれが日本人の心を揺さぶります。死地に赴くべく日本を出発した戦艦大和の搭乗員が、これで見納めとなる本土の桜を競って望遠鏡で見やる様子が伝えられますが、彼らの心をとらえたのは、桜の花そのものというよりも、可憐さであり華麗さであり潔さであったことでしょう。日本人がこれほど恋焦がれる花見を、石原都知事は今年は自粛すべきであると言い放ち、相変わらず(慎太郎というその名前に似ず)慎みのなさを露わにしましたが、実際に都内の夜桜見物の名所に明かりは灯っていないそうです。しかしさすがに震災後一ヶ月近くを経て、自粛を問題視する声が高まって来ました。
昨日の日経新聞紙上で、野球評論家の豊田泰光さんが「昔はこうだった」は老人の繰り言として嫌われるもとになる、と断りながら、「たとえ粗末な球場であれ、夜行列車で移動しながらであれ、昔もちゃんと野球をしていたものだ」と言い、今回のプロ野球開幕戦を巡る騒動に関して、「昔はみんなデーゲームだった、あの頃を思い出そう、お天道様のもとでやる野球も悪くないよ、と訴えるべきだった」と述懐されていました。「今年はみんな(デーゲームで)真っ黒になって野球をやればいい」と。確かに、電力不足には配慮しつつ、被災地でも野球を楽しみにしている人は多いはずですし、被災地以外はなおのこと、いつものように消費を刺激こそすれ、ことさらに自粛する必要はありません。野球だけではなく、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長も、決算発表の席上で、「関東や東北で節電は必要だが、自粛の程度がひどすぎる。日本人の悪い癖だ」と嘆いたようです。八つ当たりのところがありますが、気持ちは分からなくはありません。
人は、危機的な状況に追い込まれてこそ良くも悪くも人間性が表れるものです。日本という国家についても、今の危機的な状況においてこそ日本らしさ、日本人らしさが表れていると思う人が多いのではないでしょうか。心ある中国人は、日本の経済力に、中国は追いつき追い越したけれども、これほど悲惨な状況に置かれてなお暴動らしい暴動や略奪が起こらず(全く無いとは言いませんが)、お互いに譲り合うことができる日本人の高い精神力には、中国人は50年後でも追いつけないだろう、これこそが文明国たる所以だと、感嘆したそうです。日本を脱出した外国人も少なくありませんでしたが、あるフランス人は、何故日本を脱出したのかと聞かれて、実際の災害よりも、災害後に起きる停電や生活必需品不足に伴う犯罪などの二次災害を恐れたからだと答えたそうです。こうしたレベルの災害がフランスで発生していたら、直接の犠牲者の数よりその後の食べ物や水を巡る略奪や混乱で命を落とす人の数の方が多くなると言われます。こうした日本人の辛抱強さ、他人を思い遣る気持ちは、しかし、自粛ムードに包まれて度を越すことにもなりかねません。
ここ四週間で震災を巡る様々な新聞報道・雑誌記事に触れて、いくつか心に残る話がありました。一つは東北地方のある自動車部品メーカーで、大手自動車メーカーに部品を納めていたその零細企業は、津波被害に遭い、やむなく廃業に追い込まれたことを、その自動車メーカーに伝えると同時に、企業秘密であるその部品のレシピを惜しげもなくその自動車メーカーに献上したそうです。もう一つは、ある食堂が震災に遭って、お店で食事中だったお客さんを、お代は後でいいからと避難させたところ、数日後、誰一人として食い逃げはなく戻ってきてお代を支払ったそうです。些か手前味噌の美談ですが、こうして、未曾有の災害に見舞われてなお整然と秩序を保つ日本人を表現する言葉として、私が思い浮かべたのは、桜の花の可憐さ華麗さ潔さに繋がる「高潔」という言葉でした。
そんな中でも季節は巡り、昨日から今日にかけて、首都圏で桜が満開となりました。淡い桜の花の色の可憐さ、咲き誇る華麗さ、散り際の潔さ、それぞれが日本人の心を揺さぶります。死地に赴くべく日本を出発した戦艦大和の搭乗員が、これで見納めとなる本土の桜を競って望遠鏡で見やる様子が伝えられますが、彼らの心をとらえたのは、桜の花そのものというよりも、可憐さであり華麗さであり潔さであったことでしょう。日本人がこれほど恋焦がれる花見を、石原都知事は今年は自粛すべきであると言い放ち、相変わらず(慎太郎というその名前に似ず)慎みのなさを露わにしましたが、実際に都内の夜桜見物の名所に明かりは灯っていないそうです。しかしさすがに震災後一ヶ月近くを経て、自粛を問題視する声が高まって来ました。
昨日の日経新聞紙上で、野球評論家の豊田泰光さんが「昔はこうだった」は老人の繰り言として嫌われるもとになる、と断りながら、「たとえ粗末な球場であれ、夜行列車で移動しながらであれ、昔もちゃんと野球をしていたものだ」と言い、今回のプロ野球開幕戦を巡る騒動に関して、「昔はみんなデーゲームだった、あの頃を思い出そう、お天道様のもとでやる野球も悪くないよ、と訴えるべきだった」と述懐されていました。「今年はみんな(デーゲームで)真っ黒になって野球をやればいい」と。確かに、電力不足には配慮しつつ、被災地でも野球を楽しみにしている人は多いはずですし、被災地以外はなおのこと、いつものように消費を刺激こそすれ、ことさらに自粛する必要はありません。野球だけではなく、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長も、決算発表の席上で、「関東や東北で節電は必要だが、自粛の程度がひどすぎる。日本人の悪い癖だ」と嘆いたようです。八つ当たりのところがありますが、気持ちは分からなくはありません。
人は、危機的な状況に追い込まれてこそ良くも悪くも人間性が表れるものです。日本という国家についても、今の危機的な状況においてこそ日本らしさ、日本人らしさが表れていると思う人が多いのではないでしょうか。心ある中国人は、日本の経済力に、中国は追いつき追い越したけれども、これほど悲惨な状況に置かれてなお暴動らしい暴動や略奪が起こらず(全く無いとは言いませんが)、お互いに譲り合うことができる日本人の高い精神力には、中国人は50年後でも追いつけないだろう、これこそが文明国たる所以だと、感嘆したそうです。日本を脱出した外国人も少なくありませんでしたが、あるフランス人は、何故日本を脱出したのかと聞かれて、実際の災害よりも、災害後に起きる停電や生活必需品不足に伴う犯罪などの二次災害を恐れたからだと答えたそうです。こうしたレベルの災害がフランスで発生していたら、直接の犠牲者の数よりその後の食べ物や水を巡る略奪や混乱で命を落とす人の数の方が多くなると言われます。こうした日本人の辛抱強さ、他人を思い遣る気持ちは、しかし、自粛ムードに包まれて度を越すことにもなりかねません。
ここ四週間で震災を巡る様々な新聞報道・雑誌記事に触れて、いくつか心に残る話がありました。一つは東北地方のある自動車部品メーカーで、大手自動車メーカーに部品を納めていたその零細企業は、津波被害に遭い、やむなく廃業に追い込まれたことを、その自動車メーカーに伝えると同時に、企業秘密であるその部品のレシピを惜しげもなくその自動車メーカーに献上したそうです。もう一つは、ある食堂が震災に遭って、お店で食事中だったお客さんを、お代は後でいいからと避難させたところ、数日後、誰一人として食い逃げはなく戻ってきてお代を支払ったそうです。些か手前味噌の美談ですが、こうして、未曾有の災害に見舞われてなお整然と秩序を保つ日本人を表現する言葉として、私が思い浮かべたのは、桜の花の可憐さ華麗さ潔さに繋がる「高潔」という言葉でした。