このタイトルでの連載を続けてきましたが、依然、福島で苦しむ人々がいる中で、高みの見物を決め込むつもりは毛頭ありませんし、単なる興味本位でももとよりありません。確かに、今回、事故が起こったのが福島という東北方面だったからこそ、首都圏における被害の実態はよく分からないところがあるものの、私自身は(恐らく多くの方と同様)安穏としていられたわけですが、首都圏の西の方角で大きな爆発が起こり、日本ではそれほど強くはない偏西風がたまたま強く吹き続けて放射性物質が首都圏に大量に流れ込んでいたとしたら・・・と思うとゾッとします。菅内閣の対応を見ていると、浜岡原発停止でそういった懸念が働いたように見えますが、それを除けば、およそ全てにおいて感度が鈍く、想像力が欠如しているように思われてなりません。自分の身は自分で守るしかなく、この狭い日本で、明日は我が身と、覚悟せざるを得ない。ところが・・・
福島原発で事故が起こった当初、何が起こっているのかさっぱり分かりませんでした。一番事情を把握しているはずの政府が、把握していたのかいなかったのか、分かっていて情報統制していたのかいなかったのか、今もってよく分かりません。その結果、TV番組や雑誌には専門家や俄か専門家モドキが氾濫し、原発推進派から原発反対派まで、それに伴い、放射線被害を過小評価する論評から危険視するものまで、様々な解説が乱れ飛び、私たちシロウトを混乱させました。ただ私の行動原理としては、事情を掴んでいるはずの政府や東電関係者が東京を離れようとしていない限りは、とりあえずは大丈夫だろうと・・・(笑) それはともかくとして、そうであるならば、原発や放射線の問題について、分からないままに措いておくのではなく、またイデオロギー論争だと忌避するのでもなく、自分なりに読み解いて理解しようと、ささやかに集中的に取組んでみたものでした。
ちょっと前の日経新聞・経済教室で、東大の元学長・吉川弘之さんが、事故への対応のみならず行動者に対するより広い科学的助言の問題を論じておられます。科学者の助言には二つあって、一つは、工学研究者が企業技術者に行うような同じ領域内での専門的助言であり、もう一つは、行政への助言のように専門内にとどまらない公的決定に対する社会的助言です。原発事故への助言は後者であり、欧米では、生命倫理、遺伝子組み換え食品、BSE(牛海綿状脳症)などの困難な経験を通して、「独立、不偏、学派なし(どの学派も代表しない)」という中立的助言でなければならないとの考え方が定着してきたそうです。一人ひとりの科学者が自己の考えをそのまま助言すれば、学会の中での学問上の対立が社会に持ち込まれて社会的紛争を拡大してしまうからです。しかし日本では、公害、薬害、食費衛生、干拓、ダム建設などにおける科学者間の解釈の違いが政策決定の差異を強化して社会的紛争を激化させ、被害や社会的損失を拡大してしまった例が多くありますが、残念ながらこれから学ぶことがなかったと述べられます。現代社会のシステムは多領域にわたる知識を使って高度に統合化されており、一人の科学者では全体を見通すことができず、領域を超えた複数の科学者の俯瞰的協力作業が必要で、科学者は、領域に埋没する日常的な研究とともに、自己の領域から一歩踏み出し、科学的知識の全体状況を俯瞰し、集合的知性を創り出すという、二つの異なる使命が求められると提言されています。
科学者らしく、政治性を極力排し、抑制のきいた格調高い文章で、日本の科学アカデミーに対して苦言を呈しておられるわけです。これを読むと、日本の社会は十分に成熟しているはずなのに、「個」に対する「公」領域の位置づけがいまひとつ曖昧で、個人とコミュニティの関係、個々の科学者と社会的貢献といった関係が、欧米と比べて健全な成長を遂げていない印象を受けます。それは科学者側の問題であるとともに、行政側の問題でもあり、いわば社会の問題です。
とりわけ今の日本の政治は、未曾有の大災害や原発問題に直面して、何の助けにもならないことが判明してがっかりしました。連載の中で登場した武田邦彦さんは、本来は「安全な原発」推進派だったそうですが、政府や行政のお粗末な対応を見て来て、とてもこれでは制御できるわけがないと、原発反対派に転じたそうです。専門家らしい割り切り方ですが、さもありなん。私も「安全な原発」推進派、しかし私はそれでも日本の技術を信じたい気がしますが、本来、信じる信じないの類いの問題であるべきではありません。日本のエネルギー戦略は、菅総理のような思いつきで脱原発依存に舵を切るのはともかく、今後の進め方とりわけスケジュール感について、吉川弘之さんが言われたように、「独立、不偏、学派なし(どの学派も代表しない)」の中立的助言をもとに、しっかり議論されるべきです。
日本人にとって、3・11の問題の本質は、自然災害の恐ろしさを再認識し、地震や津波はどこで起こっても何の不思議はない日本列島にあって、明日は我が身の日本人としての連帯感とある種の諦観を再認識したこと、そんな中、一人の個人がなし得ることはたかが知れているという無力感を、しかし多くの力が集まれば山までは行かないまでも小山くらいは動かせるという微かながらも確かな手ごたえとともに、否応なしに思い知らされたこと、そして身の安全は国が守るのではない、やはり自分で守らなければならないことを再認識したことでした。かかる過酷な環境にいる日本人だからこそ高度に発達させてきた「忘れっぽさ」の美徳は、この際、発揮させることなく、戦後シンドロームの中で、安全保障まで他国に依存し、国を守るという意識すら退化させてきた日本人に、大きな反省を迫るものであれば良いと心から願いつつ、このシリーズはいったん終了したいと思います。
福島原発で事故が起こった当初、何が起こっているのかさっぱり分かりませんでした。一番事情を把握しているはずの政府が、把握していたのかいなかったのか、分かっていて情報統制していたのかいなかったのか、今もってよく分かりません。その結果、TV番組や雑誌には専門家や俄か専門家モドキが氾濫し、原発推進派から原発反対派まで、それに伴い、放射線被害を過小評価する論評から危険視するものまで、様々な解説が乱れ飛び、私たちシロウトを混乱させました。ただ私の行動原理としては、事情を掴んでいるはずの政府や東電関係者が東京を離れようとしていない限りは、とりあえずは大丈夫だろうと・・・(笑) それはともかくとして、そうであるならば、原発や放射線の問題について、分からないままに措いておくのではなく、またイデオロギー論争だと忌避するのでもなく、自分なりに読み解いて理解しようと、ささやかに集中的に取組んでみたものでした。
ちょっと前の日経新聞・経済教室で、東大の元学長・吉川弘之さんが、事故への対応のみならず行動者に対するより広い科学的助言の問題を論じておられます。科学者の助言には二つあって、一つは、工学研究者が企業技術者に行うような同じ領域内での専門的助言であり、もう一つは、行政への助言のように専門内にとどまらない公的決定に対する社会的助言です。原発事故への助言は後者であり、欧米では、生命倫理、遺伝子組み換え食品、BSE(牛海綿状脳症)などの困難な経験を通して、「独立、不偏、学派なし(どの学派も代表しない)」という中立的助言でなければならないとの考え方が定着してきたそうです。一人ひとりの科学者が自己の考えをそのまま助言すれば、学会の中での学問上の対立が社会に持ち込まれて社会的紛争を拡大してしまうからです。しかし日本では、公害、薬害、食費衛生、干拓、ダム建設などにおける科学者間の解釈の違いが政策決定の差異を強化して社会的紛争を激化させ、被害や社会的損失を拡大してしまった例が多くありますが、残念ながらこれから学ぶことがなかったと述べられます。現代社会のシステムは多領域にわたる知識を使って高度に統合化されており、一人の科学者では全体を見通すことができず、領域を超えた複数の科学者の俯瞰的協力作業が必要で、科学者は、領域に埋没する日常的な研究とともに、自己の領域から一歩踏み出し、科学的知識の全体状況を俯瞰し、集合的知性を創り出すという、二つの異なる使命が求められると提言されています。
科学者らしく、政治性を極力排し、抑制のきいた格調高い文章で、日本の科学アカデミーに対して苦言を呈しておられるわけです。これを読むと、日本の社会は十分に成熟しているはずなのに、「個」に対する「公」領域の位置づけがいまひとつ曖昧で、個人とコミュニティの関係、個々の科学者と社会的貢献といった関係が、欧米と比べて健全な成長を遂げていない印象を受けます。それは科学者側の問題であるとともに、行政側の問題でもあり、いわば社会の問題です。
とりわけ今の日本の政治は、未曾有の大災害や原発問題に直面して、何の助けにもならないことが判明してがっかりしました。連載の中で登場した武田邦彦さんは、本来は「安全な原発」推進派だったそうですが、政府や行政のお粗末な対応を見て来て、とてもこれでは制御できるわけがないと、原発反対派に転じたそうです。専門家らしい割り切り方ですが、さもありなん。私も「安全な原発」推進派、しかし私はそれでも日本の技術を信じたい気がしますが、本来、信じる信じないの類いの問題であるべきではありません。日本のエネルギー戦略は、菅総理のような思いつきで脱原発依存に舵を切るのはともかく、今後の進め方とりわけスケジュール感について、吉川弘之さんが言われたように、「独立、不偏、学派なし(どの学派も代表しない)」の中立的助言をもとに、しっかり議論されるべきです。
日本人にとって、3・11の問題の本質は、自然災害の恐ろしさを再認識し、地震や津波はどこで起こっても何の不思議はない日本列島にあって、明日は我が身の日本人としての連帯感とある種の諦観を再認識したこと、そんな中、一人の個人がなし得ることはたかが知れているという無力感を、しかし多くの力が集まれば山までは行かないまでも小山くらいは動かせるという微かながらも確かな手ごたえとともに、否応なしに思い知らされたこと、そして身の安全は国が守るのではない、やはり自分で守らなければならないことを再認識したことでした。かかる過酷な環境にいる日本人だからこそ高度に発達させてきた「忘れっぽさ」の美徳は、この際、発揮させることなく、戦後シンドロームの中で、安全保障まで他国に依存し、国を守るという意識すら退化させてきた日本人に、大きな反省を迫るものであれば良いと心から願いつつ、このシリーズはいったん終了したいと思います。