風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

金環日食

2012-05-22 03:17:12 | 日々の生活
 今朝は、会社の最寄駅に7時20分頃に着くように、少し早めに家を出たのですが、いつもより電車は混んでいて、考えることは皆同じなのだと感心していたまでは良かったのですが、最寄駅に降り立つと既に黒山の人だかりで、驚かされました。国内では1987年9月23日に沖縄で見られて以来25年ぶり、首都圏近郊で見られるのは1839年9月7日以来で実に173年振り、「8千万人が楽しめる」と言われ、日本列島でこれほど広範囲に見られるのは1080年以来932年振りという声までありました。今朝の日経では43%が「観測する予定」と答えていたそうですが(面白いのは、男性41%に対して女性45%、理科系の女性が増えているのか、女性の方が行動力があるのかと書かれていました)、次回は2312年(!?)と予想されていたこともあって、その場に居合わせた人は殆ど皆つい足を止めて空を見上げたのではなかったでしょうか。
 太陽を見ると、網膜の中でも感度が最も高い中心部分(中心窩)やその周辺に光が集まって傷を負うという、日食網膜症が心配されていました。そのせいか、子供たちは、学校で観測会があるというので、やはりいつもより早めに家を出ましたが、学校側としては、特に目の透明性が高く瞳孔径が大きいことから日食網膜症になるリスクが高い子供たちに、教育的機会に合わせて観測用のグラスを用意して、個々人がばらばらで見ることによるリスクを回避する配慮が働いたのかも知れません。
 私は、太陽が殆ど隠れるのだから、それほど明るくならないのではないかと疑っていたら、偏向フィルターで撮られた金環蝕の写真を良く目にするので誤解していたようです。太陽は偉大で、その溢れんばかりの光で地球を照らしてくれていたのですね、月に遮られた程度では、まぶしくてとても凝視出来ませんでした。それでも、これだけ光に溢れていながら地上の気温は1度下がったと言いますから、これまた感慨深いものがあります。曇りがちだったために、裸眼でもくっきり金環を見ることが出来たのは、不幸中の幸いでした。デジカメを持って行ったのですが、光量調節機能が劣るカメラのレンズでは、余程、曇った時でないと、まともに金環を捉えることが出来ません(上の写真、多少画面を暗めに編集しても中央右下に輪の一部が辛うじて見える程度)。
 つんくが「見ない方がカラダの為とのこと」とツイッターでつぶやいたため、ファンの間に戸惑いが広がっているそうです。アーユルヴェーダ(インドの伝統的医学)の蓮村誠先生の発言を引用したもののようで、その蓮村先生も、日食の二日前にツイッターで「金環日食を観てはいけません。日食用のレンズを使えばいいとか、そう言うことではありません。非常に強くドーシャに悪影響を与えます。どんなに観たくても我慢してください。自分のために、そして大切な人のためにです」と呟いたそうです。日食や月食は生体エネルギー(ドーシャ)のバランスに影響を与え、消化力(アグニ)を弱めるため、できるだけ外出を避けて飲食は控えた方が良いということらしいのですが(ロケットニュース)、さて。
 私は、そんなことにはお構いなしに、子供に戻ったわくわく感で、一日、なんとなく浮かれていました。しかし、そのわくわく感は何かと言うと、世紀の天体ショーを見られたこともさることながら、予想通りに観察できたこと、つまり、太陽や月や地球などの天体の運行が寸分の狂いもなく規則正しく行われていて、人々の営みを支えている、ということを実感した方が感動的だったような・・・
コメント
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