先月22日に開業した東京スカイツリーと商業施設を合わせた入場者数は、この一ヶ月間で581万人に達し、当初予想(267万人)の2倍を超えた(NHK)そうで、先ずは順調過ぎる門出を祝福したいと思います。新しもの好きの関西人(という意味ではアジアの華僑に近いということ!?)の私は、年齢のせいか、混雑を避ける気持ちが先に立って、なかなか触手が動きませんが、失われた20年と呼ばれる日本は、なかなかどうして元気なものです。
その代りと言ってはなんですが、開業から10日ほど経った頃、離れた場所から撮影した写真をアップします。「言問橋」と書いて、「コトトイバシ」と読みます。なんとも風情がある名前ですね。その橋のたもとから撮りました。真正面から望む・・・と言ってもよいほどのロケーションです。
「言問」という名称は在原業平の詠んだ歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」に因むものとされますが、ものの本(ではなくてネット上のサイト)によると、実際にこの業平の故事があったとされる場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」であり、言問橋近辺には地名として存在していたわけではなかったため、諸説あるそうです。有力説は、明治初年に創業した団子屋の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことから、この近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来する・・・というものがあります。団子屋の商売ネタだったとなると、半分興醒めしてしまいますが、とにもかくにも、この界隈の地名には何とも言えない味がありますね。そういう意味で、東武伊勢崎線「とうきょうスカイツリー駅」に改称してしまったことは、かえすがえすも残念です。改称後は「旧業平橋」の名称も併記しているそうですが、先ほどの団子屋の話といい、なかなか商売っ気が強くて、この地域特有の性格によるものなのでしょうか。
代わって職人気質の話を。スカイツリー建設を巡っては、日本の技術力を誇示する話が巷間賑わします。これも日本の景気が悪いから、何より韓国や中国をはじめとする新興国の追い上げに汲々とするように、日本が世界に誇る技術力が地盤沈下しつつある現実に直面し、敢えて日本の技術力の健在ぶりを示すエピソードを待望する心理が働いているからに他なりません。中でも、印象に残っているのは、東日本大震災が起こった時の話です。その日は実は、施工期間中、最も来てほしくない日だったと言われます。強い耐震性を担保する「心柱」(以前、本ブログでも紹介しました)を作り込む前の空きスペースで組み立てた「ゲイン塔」と呼ばれる地上デジタル放送用のアンテナがついた鉄塔を、震災当日は高さ619メートルから625メートルまで引き上げる計画で、あと20cmで目標に辿り着くという時に地震が発生したそうです。タワーにはまだ「心柱」がなく、ゲイン塔はワイヤで吊り下げてジャッキで横から押さえているだけで、最も脆弱な状況にあったというわけです。当たり前のことではありますが、建設・土木会社には、我々の想像を絶する震災への備えがあることには敬服します。勿論、首都圏直下型地震だったら・・・とまでは言いません。私は港区のビルの36階にいたのでよく分かりますが、あれほどの揺れの中で何ひとつ問題が起きなかった日本の技術陣のワザに心から賛辞を贈りたい。
スカイツリーの入場は開業から50日間は予約制ですが、ようやく来月11日から当日券の販売が始まるそうです。それでも、なかなか触手が動かない。齢のせいでしょうか。
あらためて写真で眺めると、平成の塔は、なんともスタイリッシュです。それがまた東京タワーへの郷愁を呼ぶのですが、それは稿を改めます。
その代りと言ってはなんですが、開業から10日ほど経った頃、離れた場所から撮影した写真をアップします。「言問橋」と書いて、「コトトイバシ」と読みます。なんとも風情がある名前ですね。その橋のたもとから撮りました。真正面から望む・・・と言ってもよいほどのロケーションです。
「言問」という名称は在原業平の詠んだ歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」に因むものとされますが、ものの本(ではなくてネット上のサイト)によると、実際にこの業平の故事があったとされる場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」であり、言問橋近辺には地名として存在していたわけではなかったため、諸説あるそうです。有力説は、明治初年に創業した団子屋の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことから、この近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来する・・・というものがあります。団子屋の商売ネタだったとなると、半分興醒めしてしまいますが、とにもかくにも、この界隈の地名には何とも言えない味がありますね。そういう意味で、東武伊勢崎線「とうきょうスカイツリー駅」に改称してしまったことは、かえすがえすも残念です。改称後は「旧業平橋」の名称も併記しているそうですが、先ほどの団子屋の話といい、なかなか商売っ気が強くて、この地域特有の性格によるものなのでしょうか。
代わって職人気質の話を。スカイツリー建設を巡っては、日本の技術力を誇示する話が巷間賑わします。これも日本の景気が悪いから、何より韓国や中国をはじめとする新興国の追い上げに汲々とするように、日本が世界に誇る技術力が地盤沈下しつつある現実に直面し、敢えて日本の技術力の健在ぶりを示すエピソードを待望する心理が働いているからに他なりません。中でも、印象に残っているのは、東日本大震災が起こった時の話です。その日は実は、施工期間中、最も来てほしくない日だったと言われます。強い耐震性を担保する「心柱」(以前、本ブログでも紹介しました)を作り込む前の空きスペースで組み立てた「ゲイン塔」と呼ばれる地上デジタル放送用のアンテナがついた鉄塔を、震災当日は高さ619メートルから625メートルまで引き上げる計画で、あと20cmで目標に辿り着くという時に地震が発生したそうです。タワーにはまだ「心柱」がなく、ゲイン塔はワイヤで吊り下げてジャッキで横から押さえているだけで、最も脆弱な状況にあったというわけです。当たり前のことではありますが、建設・土木会社には、我々の想像を絶する震災への備えがあることには敬服します。勿論、首都圏直下型地震だったら・・・とまでは言いません。私は港区のビルの36階にいたのでよく分かりますが、あれほどの揺れの中で何ひとつ問題が起きなかった日本の技術陣のワザに心から賛辞を贈りたい。
スカイツリーの入場は開業から50日間は予約制ですが、ようやく来月11日から当日券の販売が始まるそうです。それでも、なかなか触手が動かない。齢のせいでしょうか。
あらためて写真で眺めると、平成の塔は、なんともスタイリッシュです。それがまた東京タワーへの郷愁を呼ぶのですが、それは稿を改めます。