週末、総理官邸前で大飯原発再稼働に反対するデモが広がりを見せているとの報道がありました。心情的には賛同しますが、安全性に思いを致すのであれば、再稼働反対の前に言うべきことがあるように思います。福島第一原発4号機と同様、停止していてもなお崩壊熱を発し続ける全国50基の炉心は、大震災や津波が発生してなお安全を確保できるのかどうか。そういう意味で、再稼働反対で思考停止しているのだとすれば、菅氏同様、教条的な反原発に過ぎないものと考えざるを得ません。
先々週の金曜日のことになりますが、関西電力・大飯原発3・4号機の再稼働が決まりました。北海道電力・泊原発3号機が定期検査入りしたのは5月5日のことで、国内に50基ある商業用原発で稼働中のものがゼロになったのは、実に大阪万博があった昭和45年4月以来、42年ぶりの異常事態でしたが、二ヶ月余りで回避できる見通しです。決定自体は現実的なものと評価できますが、そのプロセスはどうしても場当たり的に見えて不安を感じてしまいます。
再稼働までに必要な時間を考慮すれば、真夏になんとか間に合う「滑り込みセーフ」の決着と言われますが、新たな安全基準の策定プロセスは極めて杜撰で、通常は審議会などの場で有識者の議論を踏まえて行うべきところ、原子力安全保安院の官僚だけで原案が僅か三日で作成され、こうした原発に関する新たな安全規制を策定する場合に諮るべき原子力安全委員会の見解を聞くこともないまま、本来、経産大臣が決定すべきところ、法的根拠のない四大臣会合で決定されました。このように行政プロセスの観点から問題がある安全基準と、関電が僅か三日で作成して政府が精査もしていない工程表と電力需給予測を元に、法的根拠も権限もない四大臣会合で、大飯原発の再稼働が安全上問題ないことも確認され、そこでの議論の議事録も残されませんでした(岸博幸・慶大教授による)。一部の企業は自衛のために自家発電設備を新設したり生産の前倒しを始めたりと、既に余分なコストをかけた取り組みを始めており、時間がかかって迷走したことは否めません。また、関電が示した85項目の安全対策の内、免震重要棟の設置や防波堤のかさ上げなど未実施の対策が31項目残されており、全て完了するのは平成27年度とされていますから、なんとも中途半端な決定であり、電力危機を前に、地元の経済界によって押し切られたと見られても仕方ありません。さらに、菅前政権が掲げた「脱原発依存」の旗を降ろしたわけでもないため、原発政策は今一つはっきりせず、再稼働を期間限定の「暫定的な措置」にしようとする首長もいる始末です。
何度も言うようですが、そもそも福島第一原発問題の原因をどこに見て、何を反省し、どんな対策を講じたか、あるいは講じるべきかといった議論は、寡聞にして知りません。政府事故調、国会事故調、民間事故調、東電事故調と、カタチだけはいろいろありますが、「事故に至った問題」「事故後の対応」の内、実際には「事故後の対応」は「震災後の対応」なので、「事故に至った問題」と大いに重なるわけですが、問題そのものの解析はなかなか私たちの目に触れなくて、属人的な側面ばかりが新聞等の報道で話題にされます。いきおい、国会事故調で参考人聴取された菅前総理は、自身の対応の問題点を指摘されると「東京電力や保安院からの情報がなかった…」と責任転嫁を繰り返し(敗軍の将、兵を語らず、と言いますが、司令官が部下のせいにするとは最低ですね)、当時を知る関係者からは「事実と違う」と批判の声があがったと言われます。当事者が政治家と官僚と東電(もう一つの役所)でお互いに責任回避するのが巧みなものですから、なかなか真実が見えてこない。本来、こうした事故調査は、個人を糾弾するのが趣旨ではなく、国家的危機に際して国家の機関(菅さんや枝野さんや海江田さんではなく、総理大臣や官房長官や経産相などの役割)や東電(本店や現場)などの当事者がどのように機能し、そのどこに問題があったのか、法制度の問題か、組織や指揮命令系統のあり方の問題か、個人のリーダーシップの問題か、作業ミスか、原因を究明し、謙虚に反省し、再発防止に向けて真摯に協力して欲しいと期待するわけですが、菅さんの市民運動家としての性(サガ)からか、自らの日本国・最高指揮官としての自覚は最後までなく、官僚や大企業(東電の場合は官とも言うべきですが)批判に終始し、問題を矮小化してしまっていますし、マスコミも、まるで弾劾裁判であるかのような、責任追及という名の真綿で包んだ吊し上げに躍起ですし、ひいては私たち国民も政治不信に端を発する恨み辛みを色濃く反映し、全体像を歪めてしまっているように思えます。
先々週の金曜日のことになりますが、関西電力・大飯原発3・4号機の再稼働が決まりました。北海道電力・泊原発3号機が定期検査入りしたのは5月5日のことで、国内に50基ある商業用原発で稼働中のものがゼロになったのは、実に大阪万博があった昭和45年4月以来、42年ぶりの異常事態でしたが、二ヶ月余りで回避できる見通しです。決定自体は現実的なものと評価できますが、そのプロセスはどうしても場当たり的に見えて不安を感じてしまいます。
再稼働までに必要な時間を考慮すれば、真夏になんとか間に合う「滑り込みセーフ」の決着と言われますが、新たな安全基準の策定プロセスは極めて杜撰で、通常は審議会などの場で有識者の議論を踏まえて行うべきところ、原子力安全保安院の官僚だけで原案が僅か三日で作成され、こうした原発に関する新たな安全規制を策定する場合に諮るべき原子力安全委員会の見解を聞くこともないまま、本来、経産大臣が決定すべきところ、法的根拠のない四大臣会合で決定されました。このように行政プロセスの観点から問題がある安全基準と、関電が僅か三日で作成して政府が精査もしていない工程表と電力需給予測を元に、法的根拠も権限もない四大臣会合で、大飯原発の再稼働が安全上問題ないことも確認され、そこでの議論の議事録も残されませんでした(岸博幸・慶大教授による)。一部の企業は自衛のために自家発電設備を新設したり生産の前倒しを始めたりと、既に余分なコストをかけた取り組みを始めており、時間がかかって迷走したことは否めません。また、関電が示した85項目の安全対策の内、免震重要棟の設置や防波堤のかさ上げなど未実施の対策が31項目残されており、全て完了するのは平成27年度とされていますから、なんとも中途半端な決定であり、電力危機を前に、地元の経済界によって押し切られたと見られても仕方ありません。さらに、菅前政権が掲げた「脱原発依存」の旗を降ろしたわけでもないため、原発政策は今一つはっきりせず、再稼働を期間限定の「暫定的な措置」にしようとする首長もいる始末です。
何度も言うようですが、そもそも福島第一原発問題の原因をどこに見て、何を反省し、どんな対策を講じたか、あるいは講じるべきかといった議論は、寡聞にして知りません。政府事故調、国会事故調、民間事故調、東電事故調と、カタチだけはいろいろありますが、「事故に至った問題」「事故後の対応」の内、実際には「事故後の対応」は「震災後の対応」なので、「事故に至った問題」と大いに重なるわけですが、問題そのものの解析はなかなか私たちの目に触れなくて、属人的な側面ばかりが新聞等の報道で話題にされます。いきおい、国会事故調で参考人聴取された菅前総理は、自身の対応の問題点を指摘されると「東京電力や保安院からの情報がなかった…」と責任転嫁を繰り返し(敗軍の将、兵を語らず、と言いますが、司令官が部下のせいにするとは最低ですね)、当時を知る関係者からは「事実と違う」と批判の声があがったと言われます。当事者が政治家と官僚と東電(もう一つの役所)でお互いに責任回避するのが巧みなものですから、なかなか真実が見えてこない。本来、こうした事故調査は、個人を糾弾するのが趣旨ではなく、国家的危機に際して国家の機関(菅さんや枝野さんや海江田さんではなく、総理大臣や官房長官や経産相などの役割)や東電(本店や現場)などの当事者がどのように機能し、そのどこに問題があったのか、法制度の問題か、組織や指揮命令系統のあり方の問題か、個人のリーダーシップの問題か、作業ミスか、原因を究明し、謙虚に反省し、再発防止に向けて真摯に協力して欲しいと期待するわけですが、菅さんの市民運動家としての性(サガ)からか、自らの日本国・最高指揮官としての自覚は最後までなく、官僚や大企業(東電の場合は官とも言うべきですが)批判に終始し、問題を矮小化してしまっていますし、マスコミも、まるで弾劾裁判であるかのような、責任追及という名の真綿で包んだ吊し上げに躍起ですし、ひいては私たち国民も政治不信に端を発する恨み辛みを色濃く反映し、全体像を歪めてしまっているように思えます。