風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

富士山

2013-06-24 22:46:35 | 日々の生活
 週末、富士山が世界文化遺産に登録されることが決定しました。なるほど、自然遺産としての要件には欠けるのかも知れないと、今さらながら思いますが、女人禁制が解禁されたのは僅か明治5年だったというように、古くから山岳「信仰の対象」であり、西洋芸術に多大な影響を与えた北斎の「冨嶽三十六景」などの浮世絵をはじめ多くの絵画や小説に描かれて日本人に親しまれてきた「芸術の源泉」でもあり、文化遺産に相応しいことには誰も異論はないでしょう。そのように見るならば、物理的な距離は大した問題にならないはずであり、実際に、ユネスコの諮問機関から除外することを求められていた三保松原も含まれたとのことで、先ずはおめでたい限りです。この点に関し、日本側はやきもきしましたが、先ずはドイツが「三保松原は最も優れた富士山の景観地だ。含めるべき明確な価値がある」と除外反対を明言し、マレーシアも「砂浜と松林も富士山の一部であり、無形の文化的な価値を持つ。富士山との距離は関係ない」と主張(産経新聞)するなど掩護射撃してくれ、日本人の価値観を支持してくれたのが嬉しいですね。
 大阪から京都に入って更に中央高速か東名で富士山を経由し東京に至るというように、既に海外からのツアーにしっかり組み込まれているメジャーな富士山に、世界遺産という箔がついて、どう変わるか知りませんが、地元では経済効果に期待し、地元自治体は、これまで国内で世界遺産登録された地域で観光客が増加し交通渋滞や環境破壊など“負の遺産”をもたらしたことから、環境保護や安全対策に追われ、入山料徴収を検討し始めています。しかし、経済効果にせよ、環境保護や安全対策のための入山料徴収にせよ、世界遺産の力を借りなければ出来なかったとすれば、ちょっと情けない話ではあります。
 富士山を初めて見たのはいつのことだったろうかと考えます。恐らく大学受験か学生時代に一度上京した新幹線の中から見たのが初めてだったはずですが、その時の富士山は記憶にありません。関西人にとって、富士山は必ずしも身近なものではありません。そんな私が、東京で就職し、一時期、湘南海岸の辻堂に住んでいたことがあり、富士山の美しい稜線を眺められることから、毎週末、夕日に向かって海岸線をジョギングするようになって、いつの間にか富士山が身近な存在になりましたが、それでもかけがえのない美しさに気づいたわけではありません。本当の意味で「日本一の山」の美しさに目覚めたのは、海外駐在していた頃、一時帰国する機内からたまたま眺めた、雲海から顔を出す富士山だったように思います。日本を離れて、却って日本の美しさや素晴らしさに気が付く、あれです。
 太宰治は「富嶽百景」で「富士には、月見草がよく似合う」と言ったそうです。決して派手さはなくとも、日本人の心を捉えて離さない、世界遺産になろうがなるまいが、「日本一の山」の面目とは言えないでしょうか。
 上の写真は、清里から見た富士山。
コメント (2)
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