風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

参院選(1)政局やぶにらみ

2013-06-28 22:31:47 | 時事放談
 一昨日の参議院本会議は、電気事業法改正案(発送電分離に向けた電気システム改革を進める)、生活保護法改正案(不正受給を防ぐ)、海賊対策法案などの重要法案を採決することなく会期切れになりました。その理由は、安倍首相に対する問責決議案が先行して採決され、野党の賛成多数で可決されたため、問責後は政府提出法案の審議はしないとの慣例に従ったものだそうです(以上、昨日の日経・社説から)。この社説のタイトルは「こんな体たらくの参院ならいらない」というもので、道理で、一昨日の夜のニュースで、安倍首相が「ねじれを解消しなければならない」と力説していたわけです。しかし、重要法案だからと言って問責に反対すれば政権を信任したことになるから賛成に回った民主党も民主党なら、法案廃案の可能性もでてくる問責決議案の先行採決を容認してしまった自民党も自民党です。まるで民主党に踏み絵を迫ったようで、なんとなく後味が悪い。
 さりながら、民主党でしょう。二大政党制の夢はあっけなく潰えてしまいました。昨年暮れの衆院選で大敗したのに続いて先週の東京都議選でも惨敗し、今はもう見る影もありません。党首(投手)の海江田さんは、先発(ハトポッポおじさん)と中継ぎ二人(ヒステリック菅さんと、どぜうの“のだ”さん)が次々に打ち込まれた挙句、仕方なしに登板させられ、盛り返そうといった覇気はまるで感じられず、どう見ても敗戦処理の投手にしか見えないしょぼくれた姿は、民主党の退潮を象徴するようで、なんだか気の毒ですらあります。結局、民主党政権の三年間は何だったのかと言うと、国家観と歴史観のない政党に政治は任せられないという、ごく当たり前の教訓を、わざわざ学ぶために回り道した時間だったと言えます。その間、国民は、自民党にお灸をすえるという軽い気持ち(に私には見えました)で、かりそめにも民主党を政権与党として選択したばかりに、日米安保体制を戦後最大の危機に陥れ、東アジアの勢力バランスを崩して、中国や韓国やロシアの好き放題にさせた結果、日本の安全保障を著しく貶め、国力の低下を招くという、手痛いしっぺ返しを食らったのでした。
 それにしても、当時の民主党のリーダーだった人たちの不見識ぶりと言ったらありません。リリーフとして登板しながら、東日本大震災という戦後最大の国難をうまく処理できず総理の座を降ろされて、東北の人々に寄り添うのかと思ったら、さっさと四国霊場八十八ヶ所巡りに旅だって、似非市民運動家面を晒し、「結局、国民や被災者よりも、自分探しの旅の方が大切なのだろう」(阿比留瑠比氏)と蔑まれた菅さんがかわいく見えるくらい(因みに彼は5月に開催された民主党の「公開大反省会」では、驚くなかれ「私は自分のことを割と常識人だと思っている」と語り、他の面々も含め、官僚批判、自民党批判、自己弁護ばかりが目立ったようです)、先発登板した鳩山さんのその後の宇宙人ぶりは際立っています。昨年4月に突然イランを訪問した際、国際原子力機関(IAEA)のことを「ダブルスタンダードを適用して不公平」と語ったことがイラン側に発表されたのは記憶に新しい。次いで、この1月に国会内で講演した際、「私(が首相)のときは、日中、日韓の間で領土問題は起きなかった。私が辞めた直後から起き始めたことは大変残念だ」とぬけぬけと述べ、ほどなく中国当局の招きで個人の資格で訪中し、中国側の要人と会談した際、「尖閣諸島は係争地」と政府見解と反対のことを表明しました。数日前にも、香港・フェニックステレビの取材に応じた際、尖閣諸島をめぐる歴史的経緯に言及し、「中国側から『日本が盗んだ』と思われても仕方がない」と述べて、その発言は同日中に中国内外に向けて報道されてしまいましたし、その後、中国を訪問し、清華大主催の世界平和フォーラムで講演した際には、「領土問題に関してはそれぞれの国の言い分がある。中国側としては当然、カイロ宣言(の中の日本が盗んだ島)に入ると考えることはあるだろう」などと、あろうことか中国政府にあらためて理解を示したほか、訪問先の北京では記者団に対し、尖閣問題に関し「40年前に棚上げすると(日中両国で)決めたのだから、メディアも理解しないといけない」と述べ、棚上げの合意があったとの認識を示すなど、元首相という重みをどこまで理解しているのか、ことごとく「売国奴」と罵られても仕方ない発言を繰り返し、世間の顰蹙を買ったのでした。
 「日本人として知っておきたい近代史」(中西輝政著)を読むと、長い太平の眠りから覚めて、いきなり帝国主義の峻烈な世界に引き摺りだされ、不平等条約を余儀なくされた日本が、万国と対峙して真の独立を勝ち取るべく、天皇を中心とした世界に恥じない近代立憲国家を実現するために、私心を捨てて奔走した伊藤博文や桂太郎の雄姿が活写されています。勿論、当時にあっても藩閥政治に安住しようとする一大抵抗勢力がありましたが、それを上回る青雲の志と情熱が、日本を五大国へと押し上げたのでした。その当時の人々の目に、今の政治のなんと退廃したと映ることでしょう。そんな政治家を選ぶ国民の責任も大きい。明治という時代の国づくりの精神に、我々は今こそ学ぶべきではないでしょうか。
コメント
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