ヨットで太平洋横断中だったニュースキャスター辛坊治郎さんと全盲のヨットマン岩本光弘さんが、昨日、海上自衛隊の救難飛行艇US2(武器輸出三原則等の運用緩和でインドに輸出されようとしているもの?ですね)によって無事救助されました。辛坊さんの挑戦については、いつかこのブログでも取り上げようと思っていましたが、今月8日に大阪・北港のヨットハーバーを出港し、さらに16日にいわき市の小名浜港を出港して大洋に漕ぎ?出してから、僅か5日間のあっけない幕切れでした。
辛坊さんは、土曜朝の「ウェークアップ」でお馴染み、ソフトな語り口ながらも、しっかりとした主張をもって言いたいことは言う芯の強さに、また、主張そのものも、やや保守的で浮ついたところのない正義派ぶりに、好感をもっておりました。この歳(御年57)になって、ちょっと思いつきのような無謀とも思える挙に出たことには、実は私も共感をもって見守っておりました。
そもそも視覚障害者が健常者(目の見える人ということで正確には「晴眼者」と言うそうです)と一緒にヨットを操る「ブラインドセーリング」なるスポーツを初めて知りましたが(1980年代後半にニュージーランドで生まれ、92年から世界選手権が開かれているそうです)、ハンディのある人を助けたい、あるいはハンディのあるなしに関わりなく誰かのためにすることへの思い入れは、人生50年を過ぎると自然に芽生えて来る感情です。それが挑戦し甲斐のある困難なことへの挑戦であるだけに、しかも太平洋横断という、海のロマンを想起させ、大自然の懐に抱かれる心地よさがあり、さらに今回のように全盲の方と健常者のペアが太平洋横断に挑戦するのは「世界で初めて」という、その言葉の響きには限りない男のロマンすら感じさせます。こうした私の身勝手な想像がそれほど独りよがりでもないことは、辛坊さんが、3月の記者会見で、「人生はイベント。今回の主役はヒロ(岩本)さんで、ぼくは海の盲導犬として、機器を直すのが仕事」と話していたことからも分かります。そして、この企画のため人間ドックをしたところ、十二指腸がんが見つかって、昨年12月に摘出手術を受けていたという話も、中年のおじさんが夢に挑むドラマを少し盛り上げました。
聞くところにによると、岩本さんは、2006年の世界選手権に日本代表として参加し、現在はヨット競技が盛んな米サンディエゴ在住で、鍼灸師をしながら多くの過酷なレースを経験しているベテランだそうですし、辛坊さんも全くの素人ではなく、大学在学中からヨットに親しんでいたそうです。そんな二人の挫折はさぞ無念だったろうと、察するに余りありますが、そのあたりの感情を押し殺して、救命ボートに逃れて10時間余り、「二人で体を寄せていたが、体温が下がって、明日までもつかどうか、わからなかった」「二人の命を救うため、海上自衛隊の方が命を懸けて助けに来てくれた」「本当にご迷惑をおかけしました。救助していただいて心から感謝している」と声を詰まらせ、「結果的にこうなった以上、問題はたくさんあった。無謀と言われれば無謀。これだけ多くの人に迷惑かけて、再チャレンジとは口が裂けても言えない」と厳しい表情を見せ、いつもの明るい辛坊さんはすっかり影をひそめ、肩を落としてしょげた姿が涙を誘いました。「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり・・・」と反省したり、「普通のパイロットだったら、あの海には降りない。(テレビの映像では、「こんなことを言っては・・・」と断りつつ)僕は本当にすばらしい国に生まれたと思った」と語ったりするなど、辛坊さんらしさも出たところには、ちょっとホッとしました(発言は産経新聞や朝日新聞などより。但し順不同)。
使用されたヨットは、2008年暮れに間寛平さんがアースマラソンに挑戦した時にも使用した「エオラス号」だそうで、どうやら海の藻屑と消えたようですが、辛坊さんの夢まで海の藻屑と消すことはないことを祈ります。
辛坊さんは、土曜朝の「ウェークアップ」でお馴染み、ソフトな語り口ながらも、しっかりとした主張をもって言いたいことは言う芯の強さに、また、主張そのものも、やや保守的で浮ついたところのない正義派ぶりに、好感をもっておりました。この歳(御年57)になって、ちょっと思いつきのような無謀とも思える挙に出たことには、実は私も共感をもって見守っておりました。
そもそも視覚障害者が健常者(目の見える人ということで正確には「晴眼者」と言うそうです)と一緒にヨットを操る「ブラインドセーリング」なるスポーツを初めて知りましたが(1980年代後半にニュージーランドで生まれ、92年から世界選手権が開かれているそうです)、ハンディのある人を助けたい、あるいはハンディのあるなしに関わりなく誰かのためにすることへの思い入れは、人生50年を過ぎると自然に芽生えて来る感情です。それが挑戦し甲斐のある困難なことへの挑戦であるだけに、しかも太平洋横断という、海のロマンを想起させ、大自然の懐に抱かれる心地よさがあり、さらに今回のように全盲の方と健常者のペアが太平洋横断に挑戦するのは「世界で初めて」という、その言葉の響きには限りない男のロマンすら感じさせます。こうした私の身勝手な想像がそれほど独りよがりでもないことは、辛坊さんが、3月の記者会見で、「人生はイベント。今回の主役はヒロ(岩本)さんで、ぼくは海の盲導犬として、機器を直すのが仕事」と話していたことからも分かります。そして、この企画のため人間ドックをしたところ、十二指腸がんが見つかって、昨年12月に摘出手術を受けていたという話も、中年のおじさんが夢に挑むドラマを少し盛り上げました。
聞くところにによると、岩本さんは、2006年の世界選手権に日本代表として参加し、現在はヨット競技が盛んな米サンディエゴ在住で、鍼灸師をしながら多くの過酷なレースを経験しているベテランだそうですし、辛坊さんも全くの素人ではなく、大学在学中からヨットに親しんでいたそうです。そんな二人の挫折はさぞ無念だったろうと、察するに余りありますが、そのあたりの感情を押し殺して、救命ボートに逃れて10時間余り、「二人で体を寄せていたが、体温が下がって、明日までもつかどうか、わからなかった」「二人の命を救うため、海上自衛隊の方が命を懸けて助けに来てくれた」「本当にご迷惑をおかけしました。救助していただいて心から感謝している」と声を詰まらせ、「結果的にこうなった以上、問題はたくさんあった。無謀と言われれば無謀。これだけ多くの人に迷惑かけて、再チャレンジとは口が裂けても言えない」と厳しい表情を見せ、いつもの明るい辛坊さんはすっかり影をひそめ、肩を落としてしょげた姿が涙を誘いました。「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり・・・」と反省したり、「普通のパイロットだったら、あの海には降りない。(テレビの映像では、「こんなことを言っては・・・」と断りつつ)僕は本当にすばらしい国に生まれたと思った」と語ったりするなど、辛坊さんらしさも出たところには、ちょっとホッとしました(発言は産経新聞や朝日新聞などより。但し順不同)。
使用されたヨットは、2008年暮れに間寛平さんがアースマラソンに挑戦した時にも使用した「エオラス号」だそうで、どうやら海の藻屑と消えたようですが、辛坊さんの夢まで海の藻屑と消すことはないことを祈ります。