風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

伊勢神宮・式年遷宮

2013-10-26 00:18:54 | 日々の生活
 かれこれ三週間前に遡りますが、伊勢神宮の式年遷宮がクライマックスを迎えていました。「遷御の儀」と呼ばれる、大御神が本殿から新殿へとお遷りになる遷宮祭の中核をなす祭儀です。翌日には雅楽などを奉納する「御神楽」などが営まれ、8年にわたる内宮と外宮の「遷宮」が幕を閉じました。20年に一度と言われる式年遷宮ですが、足掛け8年、ゆうに30を超える祭や行事が行われるものとは知りませんでした。つまり行事続きの8年と、行事がない12年を繰り返しているわけです。今回の一連の祭儀の最初を飾った「山口祭」は、2005年5月2日に執り行われたと言いますから、私がペナンに駐在するので慌ただしくしていた頃のこと、確かに大した時間の流れです。
 今回は、持統天皇の治世の690年から数えて62回目、途中、戦国時代には120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などがあったものの(Wikipedia)、実に1300年以上の歴史を誇ります。日本という国の不思議さですね。私は全く信心深くありませんし、ニュースで断片的に目にしただけですが、厳かな雰囲気は独特のもので、あらためて日本という国柄に思いを致しました。
 それは、「清潔」であるということです。この言葉を文芸評論家の新保祐司さんが使われていて、まさにぴったりの形容だと思い、拝借した次第です。実は新保さんも、この言葉を、幕末の国学者であり歌人でもあり勤王志士でもあった伴林光平(ともばやし みつひら)先生が、後に天誅組の変に身を投じる前の1861年、教恩寺の壁に書き残した七言絶句:
   本是州潔民、
   謬爲佛奴説同塵。
   如今棄佛佛休恨、
   本是州潔民。
からとったものだそうです。読み下すと、
   本(もと)是(これ)州(しんしう)潔の民
   謬(あやまって)佛奴(ぶつど)と爲(な)りて同塵(どうぢん)を説(と)く。
   如今(じょこん)佛(ぶつ)を棄(す)つ 佛(ぶつ)恨(うら)むを休(や)めよ
   本(もと)是(これ)州(しんしう)潔(せいけつ)の民。
となり、意味は
   (わたしは)本来は、神の国である日本の清潔を重んじる民であった(が)。
   まちがって、仏(ほとけ)の僕(しもべ=僧侶)となって、仏法を説いていた。
   今、仏道の修行を棄てようとしているが、仏陀よ、恨まないでほしい。
   (わたしは)本来は、神国・日本の清潔を重んじる民である(からだ)。 
となるそうです(私は文系のくせに漢文が(大学受験科目になかったために)いまだに苦手で、あるサイト(注)から引用しました)。
 神仏習合どころかキリスト教や果ては古代ケルト人の祭り(ハロウィン)まで楽しむ現代人ですから、この詩の意味する厳しさには畏れ入るわけですが、しかし、年齢を重ねるほどに、仏の道は仮の姿、本来の大和ごころに立ち返る・・・という気持ちは、なんとなく分からないではありません。神道と言えば、初詣に、お正月。年末になると、冬のさなかと言うのに戸を開け放ち、家の中を祓い清めて、心清らかに新年を迎える・・・私はもとよりモノグサですが、父はこの基本動作を毎年繰り返していたのを思い出します。まさに、伊勢神宮の式年遷宮に連なる日本人らしい心構えのような気がします。
 今でこそ、密閉したマンションや、一軒家ですら洋室だらけだったりしますが、つい数十年前までは、畳の部屋が当たり前で、隙間風が入ってくるような、自然を感じやすい造りの家で、今ほどモノが溢れるわけでもなく、食事もまた質素な生活をしていたものでした。見た目は変わりましたが、心は今もなお質素で正直なのが日本人ではないかと思います。東日本大震災の被災地で本領発揮されたのは記憶に新しいですし、外交の場では必ずしも駆引きが上手ではなく、権謀術数や情報戦には疎く、ウソも100回言えば本当になる宣伝戦は、ウソを言わないために始まらず、中国人やフランス人などと比べると(と、私自身の限られた経験ですが)良くも悪くも実に真っ正直で、ハッタリも二枚舌も潔しとしません。
 最近話題の「悪韓論」(室谷克実著)を読んで、韓国の報道機関自身が伝える韓国人の醜い実態を突き付けられ、韓国人と比べて日本人のなんとピュアでナイーブなことかと、なおさら思います。例えば朝鮮日報社の主筆は、「嘘吐き政治家と、嘘を吐く国民」(2012・3・16)と題する論説で、「韓国で2010年に偽証罪で起訴された人は日本の66倍、日本の人口が韓国より2.5倍多いことを勘案すれば165倍に達する」「誣告事件は日本の305倍、詐欺事件は13.6倍」と述べ(因みに日本人に読ませたくないのか同紙日本語サイトには転載されていません)、弁護士・今子氏は、東亜日報に寄稿したオピニオン「ウソ天国」(2003・12・28)で、「ウソの上手な国民を作ることが、国家の競争力を高める道だと勘違いしているようだ」「国全体が、ウソ発見器も通じない良心マヒ者を育てる土壌になっている」と手厳しい。著者の室谷さんは、「韓国の職場では、上司やライバルを追い落とすため、周囲に讒言して回るのは日常的なことだが、同じ手口を、世界を舞台に、日本を標的にして繰り広げているのだ」と述べておられます。物理的には最も近いはずの韓国人が、精神的には最も遠く感じます。

(注)http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn169.htm
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