天気がよく穏やかな正月でした。
元日の朝、近所の神社に初詣に出かけました。以前のブログでも書いたことですが、初詣が習慣化したのは、京阪神の電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでんばらばらに宣伝し始めた明治時代中期以降のことだそうです。バレンタインデーを立派な年中行事にしたお菓子会社に似た商魂がもとだという単純さには、あらためて驚きを隠せませんが、げに人の習慣とは恐ろしいものです。
そのままレストランで昼食をとりました。そう、子供の頃は、松の内が明けないうちは、あるいはせめて三が日は、休みとする商店やレストランが殆どで、みっちりとお節料理を仕込み、カレーライスかラーメンでも食べたい思いをガマンし、焼き餅で紛らせながら、お節料理をつまむのが、良くも悪くも正月気分と言われるものでした。しかし、近所のイトーヨーカドーをはじめ、元日から営業する店が増えたのは、いつの頃からでしょうか。便利になって、正月の食事の単調さから解放される一方で、のんびり、まったりした正月気分が奪われたようにも感じ、痛し痒しのところがあります。
奪われた・・・という意味では、凧揚げ、羽根つき、駒回し、といった遊びは、テレビや携帯ゲームにとって代わられたとして、玄関に国旗を飾る家庭や商店はもはや皆無であり、しめ飾りすらもめっきり減りました。お年玉は子供たちの熱烈な要望がありますから廃れることはないでしょう。こうして見ると、なかなかどうして、カネや商魂に繋がるところは、伝統として、あるいは新たな習慣として、しぶとく続いて行きそうです。
そんなこんなで、正月の風物詩として、今年も箱根駅伝を見るとはなしに見てしまいました。これもまた以前のブログに書いたことですが、今年10~11月に行われる全国大会の地方予選の位置づけとして、関東学連が主催して関東チャンピオンを決めるに過ぎない箱根駅伝が、これほどの人気を博するのが、関西人の私には相も変わらず不思議ではあります。ただ、今回は、昨年暮れのアジア出張の機内用に持ち込んだ三浦しをん著「風が強く吹いている」(新潮文庫)を読んで、陸上部があってなきがごとき、いわば三流大学の若者たちが箱根駅伝を目指すドタバタ劇(と言っても、内容は極めて真面目です)に、強く印象づけられたせいでもあります。そして恐らくは、学生スポーツの人気が高い関東にあって、かつマラソン好きの日本人には、正月のお節とバラエティ特番で食傷気味の心に、若者のひたむきで晴れがましい姿が、一服の清涼剤となるのは間違いありません。
今年の箱根では、東洋大学が、区間賞5人、3位3人、4位2人と、圧倒的な強さを見せ、11時間を切る歴代二位の好記録で、総合優勝しました。昨年は、新・山の神の柏原竜二が卒業して東洋大の柱がいなくなった間隙を縫って、日体大・服部翔大が5区を制し、日体大がそのまま総合も制しました。ところが、今年は、その日体大・服部翔大を、僅か1秒差で凌いで区間賞を獲得した設楽兄(啓太)や3区で区間賞の弟(悠太)を擁する東洋大が、往路優勝に続いて、復路では過去最高を記録し、楽々と逃げ切りました。総合2位は駒大で、全て6位以内(区間賞1人、2位4人、3位3人、5位1人、6位1人)と、こちらも圧巻の走りで、出雲全日本大学選抜、全日本大学に続く、学生駅伝3冠こそならなかったものの(とは読売新聞のネット記事による)、実力を見せつけました(とは言え、先ほども言ったように、予選会を全国大会と同列に扱うのはおかしな話なのですが・・・)。
それにしても近年の箱根は高速化が目覚ましく、良いのか悪いのか、上位校と下位校とで差が開くために、復路・芦ノ湖一斉スタートは(2区で途中棄権の山梨学院大を含め)13校もあり、復路23位の東海大学がゴールするまで総合13位が決まらないほどの混戦でした。そんな中、復路一斉スタートはまだしも、繰り上げスタートで自校の襷を繋げないのは無念でしょうし、疲労骨折のため2区で早くも途中棄権した山梨学院大、そして何より本人のケニア人エノック・オムワンバは、団体競技であればこそ、そしてエースが集う花の2区に選ばれてこそ、さぞ悔しい思いをしていることでしょう。しかし山梨学院大の上田監督は、往路を終えたとき、素晴らしいコメントを残しました。「オムワンバは多くのものを背負いすぎた。チームは家族、帰る家なので彼をしっかり迎えたい。人生はリセットできないけれど、リスタートはできる。記録は残らないが、チームの歴史には残る」と。私たちの記憶にもしっかり残ります。最後は水野晴郎さんの決めゼリフ、いやあ、箱根って良いですねえ・・・
元日の朝、近所の神社に初詣に出かけました。以前のブログでも書いたことですが、初詣が習慣化したのは、京阪神の電鉄会社が沿線の神社仏閣をてんでんばらばらに宣伝し始めた明治時代中期以降のことだそうです。バレンタインデーを立派な年中行事にしたお菓子会社に似た商魂がもとだという単純さには、あらためて驚きを隠せませんが、げに人の習慣とは恐ろしいものです。
そのままレストランで昼食をとりました。そう、子供の頃は、松の内が明けないうちは、あるいはせめて三が日は、休みとする商店やレストランが殆どで、みっちりとお節料理を仕込み、カレーライスかラーメンでも食べたい思いをガマンし、焼き餅で紛らせながら、お節料理をつまむのが、良くも悪くも正月気分と言われるものでした。しかし、近所のイトーヨーカドーをはじめ、元日から営業する店が増えたのは、いつの頃からでしょうか。便利になって、正月の食事の単調さから解放される一方で、のんびり、まったりした正月気分が奪われたようにも感じ、痛し痒しのところがあります。
奪われた・・・という意味では、凧揚げ、羽根つき、駒回し、といった遊びは、テレビや携帯ゲームにとって代わられたとして、玄関に国旗を飾る家庭や商店はもはや皆無であり、しめ飾りすらもめっきり減りました。お年玉は子供たちの熱烈な要望がありますから廃れることはないでしょう。こうして見ると、なかなかどうして、カネや商魂に繋がるところは、伝統として、あるいは新たな習慣として、しぶとく続いて行きそうです。
そんなこんなで、正月の風物詩として、今年も箱根駅伝を見るとはなしに見てしまいました。これもまた以前のブログに書いたことですが、今年10~11月に行われる全国大会の地方予選の位置づけとして、関東学連が主催して関東チャンピオンを決めるに過ぎない箱根駅伝が、これほどの人気を博するのが、関西人の私には相も変わらず不思議ではあります。ただ、今回は、昨年暮れのアジア出張の機内用に持ち込んだ三浦しをん著「風が強く吹いている」(新潮文庫)を読んで、陸上部があってなきがごとき、いわば三流大学の若者たちが箱根駅伝を目指すドタバタ劇(と言っても、内容は極めて真面目です)に、強く印象づけられたせいでもあります。そして恐らくは、学生スポーツの人気が高い関東にあって、かつマラソン好きの日本人には、正月のお節とバラエティ特番で食傷気味の心に、若者のひたむきで晴れがましい姿が、一服の清涼剤となるのは間違いありません。
今年の箱根では、東洋大学が、区間賞5人、3位3人、4位2人と、圧倒的な強さを見せ、11時間を切る歴代二位の好記録で、総合優勝しました。昨年は、新・山の神の柏原竜二が卒業して東洋大の柱がいなくなった間隙を縫って、日体大・服部翔大が5区を制し、日体大がそのまま総合も制しました。ところが、今年は、その日体大・服部翔大を、僅か1秒差で凌いで区間賞を獲得した設楽兄(啓太)や3区で区間賞の弟(悠太)を擁する東洋大が、往路優勝に続いて、復路では過去最高を記録し、楽々と逃げ切りました。総合2位は駒大で、全て6位以内(区間賞1人、2位4人、3位3人、5位1人、6位1人)と、こちらも圧巻の走りで、出雲全日本大学選抜、全日本大学に続く、学生駅伝3冠こそならなかったものの(とは読売新聞のネット記事による)、実力を見せつけました(とは言え、先ほども言ったように、予選会を全国大会と同列に扱うのはおかしな話なのですが・・・)。
それにしても近年の箱根は高速化が目覚ましく、良いのか悪いのか、上位校と下位校とで差が開くために、復路・芦ノ湖一斉スタートは(2区で途中棄権の山梨学院大を含め)13校もあり、復路23位の東海大学がゴールするまで総合13位が決まらないほどの混戦でした。そんな中、復路一斉スタートはまだしも、繰り上げスタートで自校の襷を繋げないのは無念でしょうし、疲労骨折のため2区で早くも途中棄権した山梨学院大、そして何より本人のケニア人エノック・オムワンバは、団体競技であればこそ、そしてエースが集う花の2区に選ばれてこそ、さぞ悔しい思いをしていることでしょう。しかし山梨学院大の上田監督は、往路を終えたとき、素晴らしいコメントを残しました。「オムワンバは多くのものを背負いすぎた。チームは家族、帰る家なので彼をしっかり迎えたい。人生はリセットできないけれど、リスタートはできる。記録は残らないが、チームの歴史には残る」と。私たちの記憶にもしっかり残ります。最後は水野晴郎さんの決めゼリフ、いやあ、箱根って良いですねえ・・・